(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
2024年3月、初期からレギュラーを務めてきた人気番組『笑点』を卒業した落語家・林家木久扇さん。55年続けた『笑点』勇退を機に、落語家・林家たけ平さんは、落語界の重鎮である木久扇さんがこれまで見てきた昭和の芸能についてインタビューを行いました。今回は、その様子をまとめた書籍『木久扇の昭和芸能史』から「桂歌丸」についてお届けします。

桂歌丸

 ぼくも歌丸さんも、昔のチャンバラ映画が好きで、よくしゃべってました。だから時代劇のDVDの貸し借りもしていたんです。でもね、既製品だとちゃんと見られるんですが、歌丸さんが自分の家でダビングをしてくれたものは、映ってないんですよ。機械の操作がわかんないらしくて。

― 初歩的なことで……。

 ええ。でも送ってくれるから、「あれ、木久ちゃん観た?」って聞かれると「ええ、観ました。面白い映画ですねえ」って答えてたの(笑)。『まぼろし城』(組田彰造監督、1940)っていう映画を、結局観れてないんですよ。でも歌丸さんが「あんな山の上にお城建てて住んでるのに、トイレの排泄物はどうするんだろうね」って言うんで、内容は知らないんだけど「困ったもんですね」って話合わせて答えて。

― ちゃんとやりとりできてますね(笑)。

 ちゃんとダビングできていないテープを7本くらい送ってもらったことがあります。サーッって何も映ってない。機械音痴なんですね。でもそういう世話焼きで。それで亡くなられた時も、ダンボールに3箱、時代劇のVHSですが40本、歌丸師匠のおかみさんから送られてきました。(中村)錦之助とか(東)千代之介とかの。そのくらい昔の映画がお好きでした。

― 歌丸師匠というと、釣り好きというイメージでしたが、映画もお好きだったんですね。

 「笑点」で二人コンビでよく「ハゲ茶瓶」って歌丸さんのことを言ったら「うるせえ、バカ茶瓶」って言ってたでしょ。あと、二人でテレビ朝日の「ご存知! 旗本退屈男」(1988)に出ることになって、京都の東映に行ってたんです。旗本退屈男は北大路欣也さんで、ぼくたちは道中してる金持ちで。歌丸さんが、毛の國屋文左衛門で八百屋、ボクがラーメン屋でナルト屋メンマ。役の名前が面白いんです。歌丸さんとは7本くらい撮りました。北大路さんが面白がってくれてね。あと堺正章さんが用人の笹尾喜内(ささおきない)役でこまかく働く家来をやっていました。

― ぼく、それ見たことあります! お父さんの堺駿二さんを好きな師匠が、その息子の堺正章さんと共演したというのも不思議なご縁ですね。