横綱・照ノ富士が引退表明

6日目に横綱在位21場所で照ノ富士が引退を表明し、両国国技館での記者会見の模様が放送された。「激しい土俵人生だった」と14年間を振り返っていた。照ノ富士は大関から膝の怪我と糖尿病などで休場して序二段まで落ちてから這い上がり、横綱になったという前代未聞の力士だ。幕内優勝は10回である。

実力を発揮できない琴櫻と気迫が溢れすぎている豊昇龍の綱とりの姿を見ると、よけいに照ノ富士の精神力の強さがわかる。横綱は、その地位を守らなくてはならないので、よほどの心の強さと力量がないとなれないのだ。過去の大横綱の中には、横綱と決まったとたんにその責任の重さを感じ、引退の覚悟をした人もいるくらいだ。

照ノ富士の師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は、綱とりに苦労し、膵炎にも苦労していた。ライバルには強い横綱の千代の富士と同部屋の横綱・北勝海(日本相撲協会理事長の八角親方)、横綱・大乃国(芝田山親方)がいた時代だ。

照ノ富士は自分が長く相撲を取れた理由に、伊勢ヶ濱親方のアドバイスをあげていた。苦労した親方だからこそ、怪我と病気の照ノ富士に的確な話しができたのだろう。

千代の富士と北勝海の師匠は、昨年11月に亡くなったNHK専属大相撲解説者の北の富士さん(元横綱・北の富士)である。

7日目に『ありがとう北の富士さん』というのを放送していた。北の富士さんの解説は、分かりやすいうえに、独特のユーモアがあって楽しかった。放送では、2009年春場所で、把瑠都に吊り上げられた栃煌山(現在の清見潟親方)が、足をバタバタさせて抵抗するでもなく負けたのに対して、「シャケじゃないんだから」と言った有名な解説が紹介された。

北の富士さんは、放送中だけでなく、会った時に、いろいろな力士に励ましの言葉をかけていたことも伝えられた。

私は2022年九州場所の千秋楽で、照強(当時前頭16枚目)が全敗となったのに対して、正面解説の北の富士さんが「全勝するよりも全敗のほうが難しい」と言ったのを覚えている。これは黒星を重ねた力士への励ましに聞こえた。