世に蔓延するこうした価値観が、加害者の認知の歪みを補強する。弱い存在には高圧的に出てもいい。そして相手を従わせ支配したい。その欲求の延長線上に痴漢行為がある。

「患者さんの中には、『女性専用車両に乗っていない女性は痴漢されたいと思っているのだ』と断言した人もいます。これは痴漢行為を繰り返すなかで強化されてきた、認知の歪みそのもの。それを育んだのは、被害者の声をなかったことにしてきた日本の社会だと思います」と斉藤さん。

 

治療の早期介入が犯罪防止の成果を上げる

「露出の多い服装をした女性は痴漢に襲われても自業自得」「暗い夜道を不用心に歩いていたのだから、被害者にも多少の非はある」。私たちはときに、悪気もなくそうした言葉を口にする。だが、被害者の中に落ち度を見出そうとする我々の歪んだ態度もまた、痴漢という名の性依存症を生み出す土壌となっているのだ。

そして、性犯罪を軽んじる風潮は、さらに大きな犯罪を生み出す。前出の福井さんはこう説明する。

「性犯罪には盗撮や下着窃盗などの非接触型から始まり、痴漢や強制わいせつに走るケースも多い。最終的に行きつくのは強姦です」

オーストラリアのように依存症や性暴力に対する研究が進んだ国では、治療の早期介入が盛んだ。その結果、犯罪防止の大きな成果を上げていると、福井さんは言う。「日本でも早い段階で治療につなげ、その先に進ませないようにできればよいのですが。残念ながら国の姿勢や世論はそれ以前の段階です」。

筆者自身、高校時代に電車通学で何度も痴漢に遭った。内気だったので声を出せずに思いつめ、制服のポケットに千枚通しを忍ばせて握りしめ登校したこともある。今思い出しても恐怖と怒りがよみがえる。

痴漢が性依存症だとしても、その行為は免罪されるものではない。だが依存症問題ならば、怒りだけではない別のアプローチが必要だ。彼らを生み出す構造に、自分も知らないうちに加担している部分はないだろうか。社会全体の問題として、考え続けていきたいと思っている。