あきらめきれなくて、あたしは谷川さんに電話した。畏れ多くてめったに電話なんかしませんよ。でもそのときはした。しないではいられなかった。そしてみなさん、あたしはすごい言葉を聞いたのでした。
あたしが谷川さんに「だってあたしはもっと谷川さんと話したいんですよ」と言ったら、谷川さんがこう言ったのだ。「オレだって比呂美さんと話したいよ」。
総毛立ったんです。
本人の本意はともかく、あたしは殺し文句にやられた。そりゃまあ、誰にでも愛想がいいとご本人もおっしゃっている。それはそうでしょうが、あたしはこの後何十年生きたって、こんな言葉は二度と聞けない。この男を慕わずに誰を慕う。あたしはぜったいに対話を続ける。そう思いきわめ、それならこうしましょうと提案したのだった。
何も計画しない。ただあたしが谷川さんちに行く。そして雑談する。それだけ。本を作るという可能性は残したいから、構成役のライターは同行する。会話は録音する。でも編集者は同席しない。ごく個人的な雑談、本にできなければ、それでおっけい。
谷川さんは引き受けてくださった。それで冬も春も夏も、そして秋も、あたしは、構成者とふたりで谷川邸に通った。
対談はまとめられた。あたしは言葉をすみずみまで丹念に調整した。それにだいぶ時間がかかった。その間ずっと頭の中で、谷川さんの声、谷川さんの口調や反応をくり返していた。頭の上に谷川俊太郎が乗っかったまま生きてるような数ヵ月だった。