いろいろ飛ばします。あの日あたしは、斎場に電話して予約を取った。葬送の新しいシステムなんだと思う。お通夜でもお葬式でもなく、遺族も立ち会わず、個人で故人と向き合えるという。

朝の斎場はひっそりして、誰の葬儀もやっていなかった。待ち合わせていた高橋源一郎さんが喪服姿であらわれた。谷川俊太郎と名札のあるドアを開けて中に入ると、明るくて厳粛な、誰もいない部屋。え、谷川さんは、と一瞬思ったが、谷川さんは、人としてじゃなく、遺体として、棺の中におられた。

会話なんて夢みたいなものだ。断片的に思い出すけど、思い出してもつなぎあわすことができない。源一郎さんと棺のそばで交わした会話─「普通はご遺体を見るのが怖い、でも今は怖くない」とあたし。「ああ怖くないね」と源一郎さん。「ちっとも悲しくないね」「ああ悲しくないね」「なんだか徹三さんに似てるね」「ああ似てるね」。

話題は谷川さんとの記憶にうつり、谷川さんの詩についてうつり、谷川さんが押し広げていった日本語について、戦後詩について、文学について、講演してるみたいに大きな声で、身振り手振りで、お客は谷川さんひとり。あたしたちはふたりで、谷川さんに聞かせよう、谷川さんを楽しませようとしていたみたいだった。

それで、夏に始めたボイトレ。秋になったら忙しくなって通えなくなった。基礎訓練も途中のままだ。だからあたしは「そらをこえて、ららら」までしか歌えてないのだ。


対談集 ららら星のかなた(著:谷川 俊太郎、 伊藤 比呂美)

「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」

 

ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。