誰も幸せにはならないからお止めになったほうがいい

それからしばらく経過したころ、2014年2月、『週刊文春』に新垣隆氏の告白が掲載されます。佐村河内氏がゴーストライターを使っていた―として世間は大騒ぎになりました。

このスクープ記事が出る数日前、沖縄の小さな町で琉球交響楽団のコンサート前の楽屋にいた私の携帯電話に、『週刊文春』の記者から突然電話がかかってきました。佐村河内氏の耳が聴こえていること、ゴーストライターが作品を書いていたことなどを非難しながら、佐村河内氏の曲の演奏を続けてきた私にコメントせよということでした。

私は、自分ははじめから彼の難聴に関してはまったく興味がないことを述べ、ゴーストライターの件は音楽に限らずいろいろなジャンルで実際にたくさんの例があり、そのこと自体を問題化すると収拾がつかなくなることを冷静に指摘したうえで、「このことを記事にすれば週刊誌は部数が増えていいビジネスになると思いますが、誰も幸せにはならないからお止めになったほうがいい」と申し上げました。すると、この記者が求めていたような答えではなかったのでしょう。「わかりました。大友さんのコメントは出しません」と言って電話が切れました。

この曲を実際に作曲した三善晃先生門下の新垣隆氏とは面識がありません。その後ワイドショーで中継された新垣氏の記者会見は、誰かがお膳立てをして新垣氏に会見の説得をしたのだと思いますが、見るに忍びないほど気の毒なものでした。彼自身は大変優秀な才能と技術の持ち主です。佐村河内氏の注文とそのコンセプトに従いながらおそらく依頼されたイメージ以上の作品を器用に形にしたのです。三善門下の逸材ですから譜面がしっかりとしていたのも当然のことでした。

その後新垣隆氏はその誠実な人柄もあり各メディアからその秀でた才能や作品が取り上げられましたが、このような形で世間に知られることになったことが果たして新垣氏にとって幸せなことだったのかはわかりません。私にしたところで現在でも一部の人たちからはいまだにこの事件にかかわった「前科者」扱いされているのかもしれません。

佐村河内氏の節度を越えて世間を欺いた振る舞いは許されるものではありませんが、その虚像と作品を結びつけて群がってきた多くのメディアにも問題があったことは確かでしょう。私には何の悔いもありませんが、この事件に巻き込まれたことは残念なことでした。

新垣氏が今この事件のことをどう思っているのかはわかりません。いずれまたこの曲が新垣隆氏の作品、あるいは新垣氏と佐村河内氏の合作として演奏される日が来るかもしれません。モーツァルトやベートーヴェンしかり、依頼人の希望に沿った作品づくりは、あらゆるジャンルで職人芸の腕の見せ所でもあるのですから。


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小澤征爾に胸ぐらをつかまれ、バーンスタインに日本のオケを嘲笑された若き日のこと。世界に背を向け、日本で活動し続けた理由、クラシックは興行であるという原点に立ち返る意味を自問自答し続けた日々を、余すことなく書ききった。音楽とは何かクラシックとはなにか、指揮者とはなにかを突き詰めた渾身の書下ろし