推しが必要かもしれない

とあるライブ会場にて、道が歩行者用と自転車用で分かれていた様子
とあるライブ会場にて。このくらい分かれていたらいいのに

ちなみに私は自転車に乗っていない。歩道走行だけではなく、逆走、飲酒運転、スマホを見ながら運転、傘を差しながら運転、信号は車道と歩道で自分に都合のいいものを選んで走行(つまり信号無視)なんていう違反者を見かけていたら、怖くて運転をする気にならなくなった。

ただ自分がいつから歩道を走行する自転車が気になるようになったかと、記憶を反芻すると、推しがある日突然、活動休止をして応援できなくなった時期とかぶっていた。この現象と同時に思い出したのが、とあるテレビ番組での識者の発言。

「正義感が強くて疲れている人ほど、推し活をして相手に何もかも許す気持ちを持つといい。精神的バランスが取れる」

ああ、そうだ。私は妙な正義感の強さが仇になってしまうことがよくある。これが損をしている生き方だと気づいてから、なるべく正義感を引っ込めて生活している。それが推しでなんとかなっていたのかもしれない。それなら舌打ちばかりしている前に、推しを作って心の安寧を取り戻したほうがいい。そのうち警視庁も違反金をがっぽり取るために、自転車違反の取り締まりを強化するだろうし、餅は餅屋に任せたい。求む、推し。