「稽古を続けなさい」という言葉を胸に
そんな父が、2010年に肺がんで亡くなったとき、私は退団公演の真っ最中でした。稽古中に「危ないかもしれない」と、父が入院していた東京の病院から連絡をもらい、演出家の先生や関係者の皆さんにお願いして「ちょっと抜けさせてください」と、新大阪から新幹線に飛び乗りました。
そうしたら、途中で父から電話がかかってきて、「戻りなさい」「稽古を続けなさい」と。結局、名古屋で折り返して稽古場に戻ったんですよ。
幸い、そのときはなんとか命を取り留めたのですが、そんな一件があったことで、「役者は親の死に目に会えないものなのだ」と覚悟が決まったと言いますか。退団公演中に父が亡くなったという報せを受けたときも、悲しいというより、とにかく目の前の舞台をきちんと最後まで務めなきゃという気持ちのほうが強くて。その後も、退団後の引っ越しなどでバタバタと慌ただしい日が続き、あらためて父の死とじっくり向き合えたのは2015年に紀伊國屋ホールで『熱海殺人事件』に出演させていただいたときでした。
稽古の初日に、このお芝居はこれまで自分が培ってきた経験だけではとうていカバーしきれないものがある。宝塚を離れても役者として舞台に立ち続けていくためには今の自分のままじゃいけないと、気づかされたのです。そのとき共演した風間杜夫さんと平田満さんもとても優しくて、「お父さんだと思っていいから」と稽古に付き合ってくださいました。その稽古を通じて、やっと父の死を心の底から受け止めることができたように思います。