実のところ、階段を上るのは体力的にはつらいけれど、下りるときほど怖くない。登山も行きより帰りに気をつけろとよく言われるが、まことにそうだ。階段を下りるとき、段差がどこにあるか、それを見間違えないかとヒヤヒヤする。そんなとき必ず思い出すのが、宝塚のフィナーレである。音楽に合わせ、背中に重そうな羽根なんぞを背負い、高いヒールで颯爽と長い階段を下りてくるスター。その視線は一度たりとも足元に落ちない。常にキラキラした瞳を客席に向けている。よくあんなことができるものだ。訓練していらっしゃるのでしょうけれど、怖くないのかしら。こちらにはそんな余裕はない。見た目なんぞ気にせず、目を凝らし、背を曲げて、ゆっくりしっかり下りるのが常である。
思えば子どもの頃は階段なんぞ、最後の五段ぐらいをジャンプして下りるほどの脚力があったけれど、あんなことができた自分を今さらながら褒め称えたくなる。もっと幼い頃は、二階の寝室から、まだ寝ぼけ眼のまま一階へ下りるとき、まず階段に座り込み、お尻を一段ずつずらして下りるのを得意としていた。母は私が起きてきたのを、階段にお尻を落とすドスンドスンという音で知ったと言っていた。
今こそ、あの方法で階段を下りたいと思う。視線が段差に近づくぶん、安全かつ転ぶ心配がない。でも地下鉄の階段に座り込んでそれを始めるわけにもいくまい。
今どきはたいていの駅にエレベーターやエスカレーターが設置されている。でもエレベーターは原則、車椅子の人や大荷物を持っている人や足腰の不自由な人のためにあるのだから、私なんぞが使ってはいかん。という基本理念を抱きつつ、ときどき利用する。ま、もう七十歳を過ぎているのだから乗ってもいいかな、とこっそり自分を許す。