「やなせ夫妻なら」
朝ドラの脚本は『花子とアン』で経験していますが、朝起きたら息つく暇もなく書かなくてはいけない。私はお酒が大好きなのですが、飲みに行けなくなるくらい忙しくなるのはわかっていました。体力も心配でしたし、筆が早いほうではないので、たくさん書かなくちゃいけないこともプレッシャーでした。半分断るつもりでしたが、それでも「やなせ夫妻を描けるなら、私が書きたい!」との思いからお引き受けしました。

やなせさんと文通していたのは、10歳で父を亡くしたときに、やなせさんの詩集『愛する歌』を読んでファンレターを出したことがきっかけでした。<たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね>という詩にすごく救われたからです。
お会いした頃は代表作がないことを気にしていらして、お手紙でも愚痴っぽかった。小学生の私に「またお金にならない仕事を引き受けてしまいました」とか書いているんですよ(笑)。音楽会にも何回か呼んでくださいましたが、お会いするといつも「お腹すいてませんか」と、優しく声をかけてくださいました。
やなせさんとの文通は、大変失礼なのですが、思春期になって私の方から止めてしまいました。その後19歳のときに代々木の交差点を歩いていたら、向こうからやなせさんがいらして偶然再会しました。不思議なご縁ですよね。
でも、私はこうして書く仕事に就いた後も連絡しなかった。今思えば、やなせさんのおかげで詩を書き続け、脚本家になりましたって手紙ぐらい書けばいいのに。仕事とシングルマザーとしての子育てに精一杯でできなかったのです。ただ、ここ数年、「やなせさんが生きておられたら、今の世の中を見てなんておっしゃるだろう」とよく考えるようになっていました。そのタイミングで朝ドラのお話をいただきました。