利子とともに並んで歩く日々
考えた挙句、私は生まれてはじめてクレジットカードでキャッシングをした。ドキドキしながらATMで借りられるだけのお金、30万円を借りる。お金が入った通帳を見たときはうれしかった。自分が育てた子どもにさえ、「お金を貸して」とは言えない。頼みの夫も、私の悩みを聞いてくれなかった。でも、カードは私にお金を貸してくれた。誰にも知られず、当面を過ごすお金を手にできて、少し気がラクになった。
ちょっとずつ返済していこう。あと数年で自分の年金がもらえるようになったら、5年くらいで返済できるはず。全額返して、死のう。それまでは死ねない。もし早く死ぬことがあって、借金を残してお母さんは死んだ、などと言われると困るから、掛け金の安い生命保険にも入っておいた。
一時はお金を借りられるカードをほかでもつくろう、とそればかり考えていた。銀行とか消費者金融とか。しかし、一定の条件を満たさなければつくれず、叶わなかった。いまとなれば、本当にこれ以上借りなくてよかった、とつくづく思う。
お金を借りて気はラクになったが、不安とめまいで眠れない日が続いた。1000円、2000円のお金が出ることさえビクビクし、自分のものなど、安い下着1枚買えなくなった。月1度の美容院さえ行けなくて、私は外に出るたび、みじめな気持ちになった。
借金というのは、頭で思い描くようには返せなかった。いまは自分の年金から返しているが、利子と並んで歩いているようなものなのだ。請求書を見るたび、まだ死ねない、まだ死ねない、とそればかり思う。
あのとき、受給時期を繰り上げて、一日でも早く自分の年金をもらっていたら、こんなことにならなかっただろうか。いや、結果は同じだったろう。私は60代にしてはじめて、お金の大切さ、家計のやりくりには賢さが求められることを知った。
いまは年金が入ると、まずお金を用途別にわける。カード払い派だが、毎日レシートと照らし合わせて、家計簿にきっちり記帳する。1000円のものを買うにも迷う。割引券の期限が切れてはいないかと細かく確認する。以前の自分では考えられないことだ。こうして、月の生活費を30万円から24万円まで減らせるようになった。
夫の決断は正しかったのだろう。貯金は一銭たりとも崩さないという姿勢が強固でよかった。大切なのは、とにかく与えられた額のなかで、つましく堅実に暮らしていくこと、そのための努力を惜しまないこと。
長年の習慣は、時間をかけないと変えられない。きっと若い頃から、“あるお金で暮らす”努力をしていれば、こんなことにはならなかった。でも60代で気づけてよかった、と思うことにしている。
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