「助け合う」社会の実現
1人暮らしの君塚監督は、自宅の生活が苦手で不安げな様子をきちんと見せている。自立する力を身に付ける努力も大切だが、その才能を支える支援者が集まってくれたら、もっといい。苦手な家事能力の獲得に時間をとられて気力を使い果たしたら、才能が委縮してしまう気がするのだ。
私も今の夫がいてやっと表現活動が出来ている。しかし、監督や私のように、「特技」や「才能」で生きる機会を得る人は稀なのだ。そういう殆どの人には、「社会」や「会社」に受け入れられるための努力は必須となる。
実際に「手のかかる」発達障害者だから、「差別するなと言われても難しい」という冒頭のインタビューは、一般人の正直な気持ちだろう。君塚氏の支援者の1人が、「君塚君は、『自分はADHDだから仕方ない』と、言い訳に利用しているところがあるんだよね。そういうところは直さないと、仕事を切られても仕方ない」と、手厳しい意見を寄せる。これも実に的を射たアドバイスだ。
しかし厳しい現実を見据え、このような映画や文学作品を通して発達障害への理解を深めれば、よりよい社会環境を整えていける。
町づくりにおいて「身体的なバリアフリー」は相当に進んだ。時代は「心のバリアフリー」を進めるステージに入ったのではなかろうか。
今の社会は「自立」に価値を置き、福祉も「自立支援」という形で行われる。しかし、自分1人で生きていけない人々が沢山いるのも事実だ。だとしたら、「自立」よりも「助け合う」ことに重きを置いた社会の実現へと動いていくべきではないだろうか。