イメージ(写真提供:写真AC)

しばらくは実家でのんびりと暮らしていたレモンさんだったが、数ヵ月後にリンパ腫が再発し、また入院することになった。やがて彼女は骨髄移植をする決意をした。待ちに待ったドナーが見つかった時には、「天国の旦那さんが力を貸してくれた、とうれし涙をこぼした」と記していた。

彼女は雑貨が好きで、ちょっとした小瓶やオブジェ、洒落たパッケージのお菓子の写真や、当時流行りだした、図柄の付いたマスキングテープを病室の壁に貼った写真などをアップしていた。センスのいい人だった。

デザインなど美術系の仕事をしていたのかもしれない。一眼レフカメラで病室から写したという景色をアップする日も多かった。いつも同じ空き地の風景で、空の色や雲の移り変わりに繊細な表情が窺えた。彼女の心模様を映し出すように、いつも少し寂しい写真だった。

私はレモンさんが骨髄移植をする頃に、自分のブログに下手くそなイラストを入れるようになった。時には、4コマ漫画で私の日常を面白おかしく紹介した。主にレモンさんを喜ばせたかったからだ。レモンさんはやさしい読者で、「笑って、治療が苦じゃなくなるかも」とコメントに書いてくれた。

悪性リンパ腫は同じ血液がんである白血病に近い病気で、だから治療の手段として骨髄移植をする場合がある。私のブロ友でも複数の人が骨髄移植をして元気になった。この治療法は、移植後の、免疫力が低下して感染症を併発したり、臓器障害を引き起こすGVHDとの闘いとなる。

レモンさんもGVHDと闘って、がんばっていた。移植後、数ヵ月が経った頃か。「症状がつらくなってきました。ダリアさんの漫画に笑えればいいのだけれど」という弱気な文面が気になった。その直後からブログは更新されなくなったのだ。そしてある日、レモンさんの兄と名乗る人がレモンさんの代わりにブログをアップした。「妹は○月○日○時○分に永眠いたしました」と。

レモンさんは亡くなる日に手帳のページをお兄さんに指し示したとのこと。そこに記されたブログのIDとパスワードで察したお兄さんが、ブロ友たちにレモンさんが亡くなったことを知らせてくれたのだ。その日、私は初めて、本名も知らない、顔も知らない、一度も会ったことのない人、でも確かにピュアな気持ちで交流したと思える人のために泣いた。天国で愛する旦那さんが待っていることが救いに思われた。