ターさんは、首都圏在住の40代前半の男性。彼は、私よりも半年ほど早く治療を始めていた先輩患者だった。ターさんがもうすぐ治療を終えるという時期にブロ友になってもらったのだ。ターさんは、当時の悪性リンパ腫の闘病ブログ仲間の中では人気者だった。彼のブログのコメント欄には、連日、彼を慕う同病の人やその家族たちが名前を連ねていた。

彼は年齢に関係なく、みんなの兄貴的存在だった。いつも明るく、前向きで、記事では病気に関することだけでなく、得意のギター演奏を動画で紹介することもあった。私の初コメントへの返信でも、「いやあ、お互いにたいへんなことになっちゃいましたね」なんていう気さくな文章に親近感が持てた。病状の行く末もわからない。仕事もメインストリームから外されて、すっかり気落ちしながら、毎日ウィッグをかぶって、マスクをして出社する。そんな私も、帰宅後、彼のブログを見れば気持ちが救われた。

 

運命の残酷さに直面して

レモンさんは北陸地方在住の30代半ばの女性。レモンさんという名前の通り、すっきりとした美人さん。と言っても、顔は一度も見たことがないのだが、「これくらい髪が生えてきました」という記事の写真に、手で目隠ししながらもちらっと写っていたお顔から想像して、そう思っていた。

私たち患者は、副作用による脱毛の後、どうやって新しい髪が生えてくるかを報告し合うのが常だった。私にとって脱毛という現実は相当ショックだったのに、共通意識がそうするのか、同病者同士ではカツラや毛生えは笑いのネタになることさえあった。

レモンさんを知ったばかりの頃、彼女の過去の記事で、告知された時、彼女の旦那さんが、「いつでもどこでもお前の側にいる。何があってもお前と一緒に闘う。二人で乗り越えよう」と言った、という話が印象に残っていた。仲のよい、お似合いのご夫婦なのだろうと想像した。

そんなレモンさんはがん告知後、すぐに入院となった。彼女の悪性リンパ腫は進行の速いタイプで、早急な治療が必要だったからだ。彼女の治療中のブログは、時々お休み期間があり、また再開する、の繰り返しで、再開されると治療の様子や季節のことなどを短い文章で寄せていた。

彼女の半年間に及ぶ入院治療が終わり、退院してしばらくした頃の記事に、実は旦那さんが少し前に急逝されたことが書かれてあった。え、ウソ、旦那さんはいつでもどこでもレモンさんの側にいて、一緒に闘っているんじゃなかったのか。亡くなったのは、そのお知らせのブログから4ヵ月も前のこと。彼女の入院中のことだ。

頼りの旦那さんを亡くした悲しみを伏せて、とぎれとぎれであっても、淡々とブログを続けていたレモンさんの気持ちを察した。いつも強がっている、でもどこか儚げなレモンさんが私には気がかりで、彼女から目が離せなくなっていった。