寛解がひとつの目標

私の半年間に及ぶ抗がん剤治療が終わる頃、ブログ仲間が次々に「寛解(かんかい)」していった。ひとまず検査で見つかるがん細胞はなくなったという「寛解」は、闘病の終了ではないが、私たちがん患者にとってはひとつの目標だった。これをクリアしなければ完治には持っていけない。

でも、検査でも発見できないがん細胞が残っていたり、あるいは薬が効かずに再発してしまうといった、真逆の道へ行ってしまう人もいた。レモンさんのように骨髄移植をし、ドナーの骨髄が生着しても、GVHDで亡くなってしまう人もいるのだ。それは運命の残酷さか。どうすることもできないことだ。

私が治療後の検査を待っているまさにその時期に、東日本大震災があった。3日後にPET検査というその日だった。PET検査は放射性薬剤を注射後に撮像して、一度に全身のがんの疾患を診断できる検査法だ。全身がんである血液がんには有効な検査となる。この結果いかんで寛解か、まだ体内にがんが残っているかがわかるのだ。

震災の時、私は東京湾岸の埋立地に立つ20階建てのオフィスビルの15階にいた。突然ビルが振動し、横揺れが激しくなり、とても立っていられないほどの揺れになった。ビル全体がギシギシと大きな軋み音を立て、本棚が倒れ、棚の上にのっていた資料がバサバサ宙を舞い、オフィスの離れた場所から、ガシャンとパーテーションが倒れてガラス部分が割れる音が響き渡った。

5、6分とも思われる、長く激しい横揺れがようやく収まり、ふと窓の外を見ると、はるか向こう岸のビルからもくもくと黒煙が立ち上っているのが見えた。それを見た私は、ついに東京も終わったかと思った。

状況がわからなかったので、想像の中で、“このビルにも火が回って、私はここで死ぬのだ。よかった……”、そう、「よかった」と一瞬感じたことが忘れられない。これで、がん患者としてのつらい日々も終わると、直感的に思ってしまったのだ。彼氏は後にあの頃の私を、「気持ちがひどく不安定になっていた」と言っていたが。

震災の3日後、私はPET検査を受けた。この検査では体内に放射性薬剤を注入するのだが、その最中に震度4の余震が来て、万が一薬が漏れたらどうなるのだろう、とドキドキしたことを覚えている。

さて、その1ヵ月後。診察の際に主治医から、「PET検査、大丈夫でした」と言われた。助手がぼそっと「CRです」と。私の主治医はクールで、担当患者が多く、いつも多忙だ。患者は一様に、余計な質問などできない雰囲気があった。ひと言でいえば、怖い先生なのだ。

私は、とりあえず問題はないんだな、たぶん寛解ということだろうと、大切なことをしっかり確認せずにのこのこと帰ってきてしまったのだ。本来は感動の場であったはずなのに。

そのCRこそ、「Complete Remission」、つまり「完全寛解」の意味だと教えてくれたのは、ブロ友、ピカリさんだった。ピカリさんは東北地方に住む方で、再発の治療をしている男性。知り合った当時、彼も私と同い年の50歳だった。

〈3につづく


会いたい。あの日の顔も知らない戦友たちに
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