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「私の人生に待ち受けていた試練」は50歳でのがん告知だった。直島加奈さん(仮名)は思いもよらぬ事態に打ちのめされる。「なぜ私が…」という衝撃から立ち直らせてくれたのは、会ったこともない「友人」たちだった……(「100周年読者ノンフィクション大賞」より)

しこりが悪性と判明して

6年前、50歳の夏に、私はがんを告知された。

それまで私は、流されるままに仕事中心の生活を30年近く送ってきた。私は会社勤めのサラリーマンで、企画制作と呼ばれる部署に所属していた。その4文字が伝えるとおり、与えられたテーマの企画を考え、カタチにしていく仕事だ。

時間を気にせず延々とアイデアを考え続ける毎日。持ち寄った企画を前に、打ち合わせを重ねても「これだ!」という結論が出ない日々はつらかった。早々に答えが見つかればいいが、当然、するするといいアイデアが出てコトが決まっていくわけではない。残業は当たり前で、土日も家に仕事を持ち帰って、追いつめられるように解決策を求める毎日を過ごしていた。

大学を卒業してからすぐにこの職に就き、バブルを迎えた。仕事、仕事で、それが楽しかった。まさに毎日がお祭りのようだった。バブルがはじけてからもなお、私がいる世界では、テンションの高い日々は終わらなかった。40代になっても、50代にさしかかろうとしても、仕事一筋の私の毎日は少しも変わることはなかった。

確かに私は時間に関係なく仕事を優先させてきた。とても健康的な生活をしていたとは言えない。食事時間は不規則で、食べるものも出来合いの弁当やコンビニで売っているパンなどで済ませることが多かった。お酒を飲んで、憂さを晴らした日もあった。運動をする時間なんてない。しかも、「不摂生」なんて私の仕事環境では当たり前、くらいの感覚で何十年間も過ごしてきたのだ。いつ病気になっても不思議ではなかった。

病気のきっかけは、50歳の春頃、突然、扁桃腺が腫れたことだった。喉に痛みもないし、咳も出ない、熱もない。でも、口を開けると、左の扁桃腺がぷっくりとクルミのように腫れているのだ。首の左側のリンパ腺も少し腫れていたように思う。こんなことは初めてだったので、すぐに街のクリニックに行って診てもらった。扁桃腺炎と診断された。抗生物質を服用すればすぐに治るだろうとのことだった。

ところが1週間経っても、さらに2週間経っても治まらない。それどころか腫れた箇所は分裂して、いくつかのしこりの集まりのようになってきた。私は毎週クリニックに通い、医師にしこりの変化を訴えたが、医師は「扁桃腺炎の後に、数週間リンパの腫れが残るということはよくあるのです」と。

結局、そのまましこりを気にしながらも、仕事が忙しくなったり、知人と前々から約束していた一泊旅行に行ったり、同僚の結婚式に出席したり、なにかとイベントが続いて、扁桃腺炎になってから2ヵ月近くが経ってしまう。この頃からすでに嫌な予感はあって、なんともいえない不安な、切ない日々を過ごした。そして2ヵ月後、いっこうに治まる様子のない私の患部を診て、さすがのクリニックの医師も大学病院に紹介状を書いた。