治療、そして副作用

その夏の後半、治療に入った。幸い、私の場合、抗がん剤の副作用は少なかった。熱や発疹が出るでもなく、若干の胃痛、腰痛、口内炎程度で、他の人に比べたら大したレベルではないとのことだった。しかも、初回のたった1回の投与で、ここにあると自覚のあったしこりはすべて、みるみる小さくなってしまった。

みるみるというのはまさにその言葉通りで、時間単位で治まっていくのがわかるほどの速さで小さくなり、やがてなくなってしまったのだ。がん細胞だけを狙ってやっつけていく分子標的治療薬であるリツキサンの威力を実感した。ただ、がん治療では、目に見えないレベルのがん細胞まで徹底して、完膚なきまでやっつける必要がある。そうでなければ再発してしまうからだ。

副作用の少なかった私も脱毛は避けられなかった。治療開始後、2週間ほどで脱毛が始まったのだ。私にとって脱毛は、告知に並んでショックな出来事だった。病院で紹介された専門の美容室で、ヘアスタイルをショートカットにしておいたが、シャンプーするたびに髪は束になってごっそり抜ける。鏡を見るのも怖かったし、これが本当に自分の身に起こっていることとは信じられず、涙が出た。

医師に指示されていたので、あらかじめウィッグは用意していた。しかし、その夏は連日30度を超える気温、これまでにない猛暑となった。毛皮で頭を包み込むようなウィッグ、つまりカツラをかぶって通勤することに耐えられるのか。しかも、血液がんの治療中は、急激に白血球が減っていく。免疫力も下がるので、感染症予防のために、マスクの着用が必須となる。

猛暑の真夏にウィッグをかぶって、マスクをして出かけなければならない。そのうえ、私はウィッグの見た目の違和感にどうしても耐えられないので、ウィッグの上にさらにニットキャップや帽子までかぶって過ごすことになる。その年の残暑の中、この蒸し風呂のような状態で出社し、仕事をしていたのだ。

その頃、私の頭の中にはひとつのイメージがあった。

それは夜の真っ黒な海のイメージ。海上にはタイタニック号のような一隻の豪華客船が航行している。船上には着飾った人々が集まっている。豪華な料理や酒や楽団の演奏。真っ黒な夜の海とは対照的な、きらびやかな世界がある。でも、その船上に私はいない。私は一人、客船から離れた海原に浮かぶ、みすぼらしい小舟の上にいる。灯りもない。小舟は客船からどんどん離れて行く。とてつもなく一人ぼっち。どうすることもできない。そんなイメージが漠然と頭に浮かぶ。

今自分に起こっている現実があまりにもウソっぽく、このイメージをバカみたいな想像と笑い飛ばすことができなかった。人生の半ばにして、まだ何も悟っていないのに。もしかしたら、この人生を降りることになるかもしれない。どうして、私が、なぜ、今。そんな問いかけを頭の中で繰り返していた。

治療は始まったものの、8回の抗がん剤治療が終わった後、私はいったいどうなるのだろうか。すべては終わってみなければわからない。不安な日々に変わりはなかった。その夏は、あまりにも孤独だった。天井を見つめたまま、眠れない夜が続いた。こんなネガティブな思いの中で治療して、果たして効果はあるのか。抗がん剤ではなく、精神的なダメージで免疫力が下がってしまうのでは、そんなことを考えていた。