甘えん坊の千尋
伯父の家は、玄関を入ってすぐのところに書生部屋があった。長男として弟や姉妹たちの面倒を見ていた伯父は、旧制中学に通っていた末弟の正周(嵩の叔父にあたる)をそこに住まわせていて、嵩も同じ部屋で寝起きすることになった。
この家の子どもになっていた千尋は、奥の部屋で伯父夫婦と川の字になって寝ていた。伯父も伯母も嵩にやさしく、毎日の生活には何の不足もなかったが、弟との差を感じないわけにはいかなかった。入学前の千尋はたしかに幼かったが、兄弟は二つ違いで、嵩もまだ小学二年生だったのだ。
まもなく嵩は、千尋と同じように、伯父と伯母を「お父さん、お母さん」と呼ぶようになったが、本当の子どもではないのに育ててもらっているという引け目があった。
思いきり甘えたいときに甘えられず、わがままな時間をもつことができない子どもは、どこか遠慮がちになる。早くから分別を身につけてしまうのだ。それまで素直で子どもっぽい性格だった嵩は、一歩下がってまわりを冷静に見るようになっていった。
それに対して千尋は、甘えん坊でわがままだったが、それがかえって愛らしく、嵩は少しうらやましい思いで弟を見ていた。
弟はこの家の跡継ぎだが、自分は居候も同然の身なのだ―そんな嵩の気持ちが五歳だった千尋にわかるはずもない。千尋は兄が大好きで、「兄ちゃんと一緒でなければいや」と言って、どこにでもついてくるのだった。