現在放送中の朝ドラ『あんぱん』。<アンパンマン>を生み出した、やなせたかしさんと妻の暢さんをモデルとした物語です。早くに父を亡くし、再婚した実母と別れて暮らしたやなせさんは、生涯にわたり実母への思慕があったといいます。ドラマでも、嵩の母親を求める複雑な心情が描かれました。やなせさんのもとで働いた経験がある作家の梯久美子さんは、「母という存在は作家としてのやなせさんにとって生涯にわたって大きなものでした」と語ります。梯さんはかつてジュニア向けにやなせさんの評伝を執筆。教科書にも掲載されましたが、子どもたちだけではなく親世代からも大きな反響があったといいます。「やなせさんの人生について、多くの母親に知ってほしい」と梯さんは今春、大人向けにやなせさんの評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』をまとめました。やなせさんの人生哲学の一端を知ることができる、家族にまつわるエピソードを同作から一部引用、再編集してお届けします。
母の再婚を知らなかった
学齢期を迎えた嵩は、家のすぐそばにあった高知市立第三小学校(後の高知市立はりまや橋小学校)に入学した。
だが、ここに通ったのは二年生の途中までだった。何の心配もなく、ただ甘えていればいい暮らしは、ある日突然断ち切られたのだった。
母につれられて高知駅から汽車に乗り、後免町にある伯父・寛の家に行ったとき、嵩はそのままそこに置いていかれるとは思っていなかった。
奥の部屋で伯父と話していた母は、しばらくして出てくると、待っていた嵩に、しばらくここにいるように言った。
おまえはからだが弱いから、伯父さんに丈夫にしてもらうのよ。水虫も治してもらいなさい。お兄ちゃんなんだから、千尋にやさしくしてね―そう言われて、嵩は素直にうなずいた。そして、帰っていく母を、千尋といっしょに見送った。
このとき嵩は、母が再婚することを知らされていなかった。そのうち迎えに来てくれると思っていたので悲しくはなく、涙も出なかった。よそ行きのきものを着て、白いパラソルをさした母を、きれいだと思った。