それほどひどい例は少いけれど、似たようなことは何度かある。自分の云った覚えのないことばやしたことのない行動が、無責任な活字で流布される不愉快は、そんな目にあった人間でなければわからないだろう。

けれどもその記事にも一分の真実はあった。私が夫と子供のある身で恋人をつくり、夫の家をとびだしたこと、後に妻子あるJを識り、恋愛関係になり公然と彼との仲をつづけていることであった。そのどちらも道徳のわくをはみだした行為であり、それだけでそういう雑誌のスキャンダル面に扱われるようなネタの持主にはちがいなかった。

それらのことを私はすでに小説の中でいくらか書いている。私小説の手法を使ってはいるが、それらの私の小説はいわゆる純粋な私小説ではなかった。どの場合も私は現実と虚構をないまぜて全然別個のもう一つの小説の世界をつくりあげていた。そういう方法が私には私の内面の真実をより一層確かに描けると思っていたからであった。

 

「私は後悔しない」「私は彼を責めない」…

この1年程前から、8年つづいたJとの関係を清算したいと考えはじめたころから、私はこの問題をテーマに秘かに小説を書きつづけてきた。自分の内部に充満した血嘔吐をはきちらすような切ない作業をつづけながら、私はむきだしにされていく自分の醜さや、愚さや、度し難い矛盾相剋(そうこく)の網目に身も世もない情けなさを味っている。迷いこんだ穴から書くことによってぬけ出るなどいうことは、とうてい出来ない作業だったのだ。

本手記だけでなく、話題となった小保方晴子さんとの対談も収録された新刊『笑って生ききる』(著:瀬戸内寂聴、中央公論新社)

それでも小説に書くことによって、自分を客観視し、自分がどうにもならないと決めていた「関係」をどうにかしなければならないという前進的な方向に持っていけるようになったのはたしかであった。

ちょうどそんなころ、この雑誌で「妻の座なき妻」の特集があった。私はそこに私の悩みと同じ悩みをつづけている何人かの同類を見た。その人たちのペンが書ききれないもっと深いため息や、悶えが聞えるように思った。

彼女たちは申しあわせたように経済的自立を得、社会的にも自主性をかち得ている人たちであった。

「女の可能性とかその将来とかをとりあげる時問題にすべきはこういうひとたちである」と、ボーヴォワールにいわしている「めぐまれた女性」たちであった。男に養われながら、選挙権だけを看板のようにふりまわし依然として本質的には男の隷属物にすぎない女の地位にあきたらず、すでに、意識するとしないにかかわらず、そこからぬけ出ている、解放された「自由な女」たちであった。

にもかかわらず、彼女たちの心を引き裂いている悩みの、依然として何と女らしく、女そのものの問題であることか。