彼を死なせまいとみはることが私の生きがいに

それからの8年を今、本当に短いものに思う。

私たちははじめから、愛や永遠や、同棲を誓ったりはしなかった。何ひとつ契約もしなかった。ことばは不要な理解が、お互いに交流するのを感じたのだ。

はじめから、私は彼に妻子のあることは知っていたし、その人たちの場にふみこもうなどとは考えてもいなかった。彼を死なせまいとみはることが私の生きがいになっていた。私の内部にもやもやとおしつまり、出口がわからずうずまいていた文学への願望が、彼にはっきり出口を教えられ、道筋をさし示された。

本手記だけでなく、話題となった小保方晴子さんとの対談も収録された新刊『笑って生ききる』(著:瀬戸内寂聴、中央公論新社)

私ははじめて彼がたった一冊出した彼の作品集『触手』を読み、強烈な文学的感動を受けた。そういう作品を一冊でも書いた彼を尊敬し、彼の文学を信頼することが出来た。彼に励まされ、私は私の内部に眠っていたさまざまな可能性を少しずつ光りの中にひきずりだすようになっていった。

いつのころからか、彼は湘南の海辺の町にある彼の家と私の下宿を小まめに勤勉に往復するようになっていた。8年間それはほとんど乱されることなく、まるで電気じかけのように正確に繰りかえされた。

恋のある時期、私にもやっぱり、彼の不在の間に嫉妬になやまされた時はあった。それでも私は嫉妬だけにかかずらっていられるほど閑がなかった。と同時に、私に対する彼の愛の確信のようなものが次第に強まり、傲慢な愛の自信から、みじめな嫉妬は解放された。もともと私は嫉妬心は人並より薄いのかもしれなかった。

妻の座というものに私は全然魅力もなかった。一夫一婦の結婚の形態にも私は私なりの疑問を持つようになっていたし、世間の夫婦をみまわしても心底から羨ましいと思うような家庭もなかった。私はまた、孤独な時間が好きでもあった。

彼といる時間の充実と温さと、安堵感は幸福そのものだったけれど、彼の不在の時の何物にも犯されず、孤独な時間のすがすがしさもまた私には幸福そのもののずしりと手ごたえのある時間であった。宿題を出された勤勉な小学生のように、私は彼の不在の時間に彼が組んでおいてくれた仕事の山をこなし、読むべき本を読み、観るべきものを観に走らねばならなかった。

彼が来た時、息せききってそれらの身心の経験のすべてを彼に告げると、私ははじめてそれらのひとりでした経験が血肉となって自分の内部に定着するのを感じるのであった。