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彼の描いた軌道にのって私が走りはじめると、彼の生活費まで私がみているのだという噂がたちはじめた。そんなことは彼も私も問題にしなかった。私は私のものは彼のものだと思っていたし、事実、私の働いて得る金や物にしても、彼の精神的な助力がなかったら、とうてい得られないものだった。

けれども事実は、私は彼の生活費などみたことはなかった。最小限でも彼はずっと彼のペンで稼ぎつづけて来たし、妻子も養って来ている。また彼の奥さんも決して夫に依存しているだけの無能な人ではない。自分の芸術への夢は、彼との恋が結婚にすすんだ時、きっぱりあきらめて、彼の内助の妻となる道を選んだ人であった。彼にいい仕事をさせるため、内職をしつづけて、彼の負担を少くして来ているような人だ。

ある時期、彼に降ってわいたように華やかな週刊誌の連載物の仕事が来て、それを引受けてしまった。彼の今まで不如意をこらえつづけ守って来た文学の道からいえば、絶対引受けられる仕事ではなかったけれど、彼は長い奥さんの献身と苦労にむくいたくてそれを引受けたのだとしか私には思えない。その間、私にも彼ははにかみながら、生活費をさしだした。私はその期間くらい、そわそわと居心地の悪い想いをしたことはなかった。

「まるでお妾さんみたいだ」

私はぐあいの悪い表情でその金を受けとる時、出来るだけ早く費い果そうとした。幸か不幸か、そんな時期はとうてい彼にはつづかず、またもとのすがすがしい貧しさがおしよせて来た。妻子を飢えさせても自分の文学を守り通すのが、真の芸術家なのか、どうか、私には今もって答えはわからない。

ただその時以来、彼が私の部屋で、妻子を養うことだけが目的の仕事のペンを走らせ、その成果の金を持って妻子の許へ帰っていくという生活になった時、私はある失望を感じないわけにいかなかった。

 

彼の妻の影像との対決

8年の歳月は、本当に短いものだった。

けれども彼の小学生だった女の子がすでに大学に入るまでに成長した。とすれば、その子と偶然、同じ名をもつ私の夫の許にいる子も、別れた時四つだったのにもう、高校を卒業しそうな年ごろになっているはずだ。

彼と奥さんは、私が加った奇妙な状態の8年間もあわせて、すでに20年をこす結婚生活を送って来たのだ。

彼によって引きあげられ、彼によって導かれ、成長させられた私の、ものを書く人間の眼が、「生活におわれて」上すべりに見すごして来たものを、もう一度見つめ直さなければというようになって来た。

全く思いがけない角度から、私に結婚問題がおこった。私が「結婚出来る立場」にあるという発見は、誰よりも私自身を驚かせた。その気になりさえすれば、あなたは誰に遠慮もなく結婚していい立場のはずだ。そういわれて見て、はじめて他人事のように自分の周囲を見まわした。

私は8年間強いられたわけではないが彼に貞操をたて通して来た。彼が彼の家庭に帰っている時でも、私は自分の行動を彼を辱めないようにと手づなを引きしめる気持だった。何かを彼の不在に決裁したり決断しなければならない時、

「宅に相談してみまして」

という世間の妻たちのことばは口にしないまでも、彼の欲するよう、彼がそうするであろうような物のはからいを無意識のうちにしていた。

私の部屋にたまった彼の下着や彼の着物、足ぐせのついた彼の下駄やクリーニングからかえってきた季節外れの外套……そのどれをみても彼は私の部屋では情夫や恋人ではなく、れっきとした夫の風格をもつ「影」であった。私の彼への無遠慮、横暴、甘え、献身……そのどれをとっても、私は彼の情婦や恋人ではなく、れっきとした妻であった。