エイドリアン・ブロディ
映画の冒頭、ピアノを弾いているシュピルマンが所属するラジオ局が突然爆破され、録音は中断。家に帰ると家族は避難のための荷造りをしていた。その日は結局避難しなかったが、すぐに彼らは「ゲットー」という、ユダヤ人専用の居住区に移り住むことになる。ドイツ軍によるユダヤ人迫害が厳しくなると、家族は強制収容所に送られてしまう。1人生き延びたシュピルマンは、家族を失った悲嘆にくれ、食物にも事欠く逃亡生活を送る。
そんな過酷な運命を生きる主人公の内面を描くとき、彼の面長の輪郭、影が濃く出る彫の深い顔立ちは、これ以上ない異彩を放つ。
アメリカ人俳優エイドリアン・ブロディを発見した時、この映画の成功は半分決まったのではなかろうか。そのくらいエイドリアンは見事に、あらゆる服装と状況のシュピルマンを演じ分けた。最初は身なりのよいブルジョアの音楽家。戦況の悪化で工場に勤めるようになると労働者風、逃亡生活ではやせ細って髪も髭も伸び放題の浮浪者そのもの。
どれも違和感なく演じられるのは、まず彼の力量だろう。しかし監督は彼に「無理に演技しなくていい」と言ったそうだ。エイドリアンがそこにいるだけで、画面には悲しみが宿り、絶望ややり場のない怒りと共にある生への渇望を表現できると解っていたのだろう。
その「監督」が、ロマン・ポランスキー。『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)や『チャイナタウン』(1974)で脚光を浴びた絶頂期、「子役モデルに性的暴行を加えた」と逮捕され、活動の場をアメリカからフランスに移した(1977)人物だ。
ポランスキー監督は一見思慮深げで優しそうな風貌。性的スキャンダルよりは、禁欲的な生活で制作に没頭する姿が似合う感じだが、その後も様々な女優との間にスキャンダルが絶えない。なので「ロマン・ポランスキー」と『戦場のピアニスト』という作品イメージが、私の中で中々一致せず、2002年の公開当時には見なかった。