ユダヤ人居住区「ゲットー」
「ゲットー」と言われるユダヤ人居住区がどんなだったかを、私はこの映画で初めて知った。ある日突然、街の一角への移住を命じられ、ユダヤ人の家族が行列をなして移動していく様子は差別が根本にあるためか、見ていてやり場のない気持ちにさせられる。ユダヤ人であるというだけで、住む場所を限定され、更にその町が高い壁で閉ざされてしまうのだ。まるで家畜のように。
ユダヤ人狩りが本格化すると、何の理由もないのに家にドイツ兵が押し寄せ、家族を虐殺していく。あるシーンでは車いすの老人が「役立たず」だと罵られ、高層階の窓から投げ捨てられる。ある道路で歩いている人々は軒並み銃殺される。「差別」「ジェノサイド(大量虐殺)」という言葉の意味と恐ろしさが実に皮膚感覚に迫って感じられるのだ。
何故ここまでの映画をポランスキーは撮影できたのか? 疑問に思って彼の経歴を調べると、彼自身がユダヤ教徒の父と、カトリックの母の間に生まれたユダヤ系ポーランド人だった。彼は幼少期にゲットーでの生活を体験し、両親が収容所に送られた経験を持っていたのだ。父親は強制労働の後に解放されたようだが、母親は収容所で虐殺されたそうだ。さらにその時「妊娠していた」と、ポランスキーはインタビューで答えている。
この映画は、ポランスキー自身の人生への慟哭と、相反する生への渇望が反映されているに違いない。