ドイツ人将校のヴィルム・ホーゼンフェルト
そしてもう1人実在した、忘れられない人物がいる。終戦間近、逃亡生活も限界を迎えた頃、やっと見つけた缶詰をこじ開けようと悪戦苦闘するシュピルマンを、見つけてしまったドイツ人将校である。その名はヴィルム・ホーゼンフェルト。
「もう終わりだ」と恐怖に目を見開き震えるシュピルマンに彼はいう。「ピアニストなのか?何か弾いてみろ」。かつて病院だったその建物の中には、ピアノが置かれていた。人生最後になるかもしれないと恐らく思いながら、シュピルマンは見事な演奏をする。この時に演奏されたのはショパンの「バラード第1番」。それが私たちの心に深く沁み込む。
結局、ホーゼンフェルトはシュピルマンを殺さず、捕虜にもしなかった。部下に「ユダヤ人が隠れている」と伝えることもなく、彼が屋根裏部屋に戻るのを見守った。
ドイツ将校としたら背任行為であり、発覚すれば軍事裁判ものだ。しかも彼はシュピルマンが隠れる屋根裏部屋に、パンとジャム、そして缶切りを差し入れするのである。
人々が戦争の空気に流され、当然のようにユダヤ人を虐殺していた時代に、ホーゼンフェルトは自らの身を危険にさらし、「人間らしい」行為を行うのだ。彼の行いには、魂が震えるような感動を覚えずにいられなかった。