ねこちゃんがいたらこんなにびびらずに済んだのに……と詮ないことを考えた。ねこちゃんはかわいい服をいっぱい持ってて、いつもこれがいいかあれがいいか悩む。あたしは「いい夫」みたいに、自分が言われたらうれしいだろうという言葉をかける。「似合う似合う、すごくかわいい」「それもいいけど、これはもっといい」などとほめてるうちに、ねこちゃんは決めて、着飾って、いっしょに出かけたものだ。

ねこちゃんはあたしのことも自分の服で着飾らせたがった。あたしはいつも言われるままに着て出かけたけど、帰ってきて自分の服に着替えると、「うん、やっぱりこっちの方がひろみちゃんらしい。自分のことは自分がいちばんよくわかってるのかねえ」とねこちゃんがつぶやいたりした。お、つい思い出に寄り道を。

その日、おそるおそる会場に行ったら、親しい編集者が何人もいたし、知った顔が何人もいた。池澤さんがいた。小室さんがいた。阿川さんもいた。それからもちろん詩人たちがいた。同じ言葉と同じ時代、同じ編集者や出版社や詩の雑誌や朗読会を共有した詩人たちだ。何十年ぶりかで会う詩人もいた。初めて会う詩人もいた。それから、知ってる人が知らない人に紹介してくれたりもした。

そのひとりが、谷川さんの訳した『マザー・グースのうた』にイラストを描いた堀内誠一さんのお嬢さんの花子さん。初対面である。「不義理」という言葉が頭の中をかけめぐったのはそのときだ。