
(画:一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫3匹(メイ、テイラー、エリック)と暮らす日常を綴ります。今回は「不義理の極意」です(画:一ノ関圭)
不義理を重ねてきた。こうして目を閉じるだけで、不義理した相手の顔が、数えきれないほど浮かぶ。
なにをいきなりと思うでしょう。五月半ばに、あたしは、谷川俊太郎さんのお別れ会に行ったのだった。いや、谷川さんには不義理してませんよ。しないで済んだのは、晩年に通って対談本を出した直後に谷川さんが亡くなったからだ。もし谷川さんが一五〇歳くらいまで生きていたら、あたしの興味は移り、谷川さんからも離れていって、結果的にすごく不義理をしてしまったかもしれない。
だいぶ前に、谷川さんのお別れ会のスピーチを頼まれて気軽に引き受けた。そしたら当日の数日前、六〇〇人くらいの大きな会になると聞いた。他のスピーチする人たちの名前を聞いてあたしはびびった。殿上人(てんじょうびと)の中に受領(ずりょう)階級が混じったみたいで(源氏物語から声をお借りしました)。谷川さんの世界の大きさ、ジャンルを超えた広がりをすっかり忘れていたのだった。なにしろ谷川さんに会うのはいつも谷川邸、秘書のKさんがいるくらいで、ほぼ一対一だったから。