四十数年前になる。前夫とラブラブで、結婚しようねと言ってた頃。前夫の恩師夫妻にものすごくお世話になった。花子さんにとっては伯母夫婦にあたる二人だ。ほんとにほんとに、いやもうほんとにお世話になった。
初対面なのに、なつかしくて、あの頃の記憶がいちどきにぱあっと溢れて、涙さえ出そうになった。花子さんは言った。「うちではひろみちゃんひろみちゃんと呼んで、いつも話していたんですよ」と。
花子さんの伯母さんは内田莉莎子さん。ロシア語、東欧諸語の絵本の翻訳家だった。夫の吉上先生はポーランド文学の学者だった。学者と物書きの老練な夫婦が、学者と物書きの若い夫婦(あたしたち)を、大切にそだててくれて、世話をして、仲人までしてくれた。なのに二人が亡くなる頃にはあたしはすっかり遠くなっていた。夫とは離婚した。鬱のひどいのにかかってにっちもさっちもいかなくなっていた。莉莎子先生の亡くなったのを聞いたときには何にもできなかった。
いっぱい不義理してきた。不義理しちゃいけない人にこそ不義理してきた。そんな人たちが、まだ、何人も何人もいるのである。
でも花子さんに会えた。そして「不義理してしまったけど莉莎子先生のことはけっして忘れなかった、ほんとに感謝しています」と言えた。そのとき、あたしの中で、肩こりみたいに固まって堅くなっていた不義理の記憶が、しゅううと薄れていって、楽になったような気さえしたのである。