不義理というもの。してしまうのが、人生ってやつなのだろう。しては後悔し、しては後悔し、そしていつか、本人じゃなくても、その人を知ってる誰かに、ほんとに感謝していました、今も感謝していますと伝える。それでいいのかもしれないなと考えた。

そのときのスピーチで、あたしはまず「まるで殿上人の中の受領階級」と話し始めたのだが、やっぱりすごく緊張していたみたいでオチをすっ飛ばして話がずれた。

殿上人の多い会場だった。谷川さん本人がまさしく「オレは自分の育ちがいいってことが常にコンプレックスだった」みたいなことを言ってた殿上人だった。なのに、その言葉も詩も、存在も、受領階級どころか、空き地の雑草の根っこみたいな人たち、あたしたちに届いて「みんなの谷川俊太郎」になった。谷川さんがそれをはっきりと意識し始めたのが、堀内誠一さんの挿絵で始めた『マザー・グースのうた』の翻訳からじゃないかとあたしは思う。一九七五年だ。あたしも買った覚えがある。莉莎子先生を知るずっと前に。

よみ人知らずのマザー・グース、英語文化の根っこにあるそれを、今まで見たことのないような日本語─洗練された谷川さんの日本語に訳していくことで、谷川さんは、下々の、濁世(じょくせ)の、民草の、庶民の声と言葉の中にぐんぐん降りていったのだということを、殿上人と受領階級のたとえのオチとして言いたかったが、言うの忘れた。

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対談集 ららら星のかなた(著:谷川 俊太郎、 伊藤 比呂美)

「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」

 

ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。