
わが背子にわが恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり―『万葉集』よみびとしらず
比呂美さんに――圭より(画=一ノ関圭)
比呂美さんに――圭より(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫3匹(メイ、テイラー、エリック)と暮らす日常を綴ります。今回は「なんかひきずっている」です(画=一ノ関圭)
二月の初め、山の森で、アセビが小さい堅いつぼみをびっしりつけていたのだ。まだまだ咲かない、でももうすぐ必ず咲くやつ。
うまく撮れたのでいつものように、枝元なほみ、ねこちゃんに送ろうと思ったが、その頃彼女はひどく具合が悪かったので送りそびれた。そして二月の終わりに死んだ。
その次の週、あたしはカリフォルニアに行った。もともとそういう予定だった。行きも帰りも東京で一泊して、ねこちゃんに会ってからアメリカに行くし、会ってから熊本に帰るつもりだった。行きのその日、生きてるねこちゃんはもういないから、安置してある家に行って柩の中の死に顔を見て、遺族に挨拶してと思っていたが、突然雪空になって運航状況があやしくなり、航空会社は国内便の変更を無料で受け付けてくれることになった。それであたしは、熊本出発を一日遅らせて、羽田から成田に直行した。
逃げ出したような気がする。死に顔を見たくなかったのかもしれない。そもそも親友の葬式に行かないとはなんたるやつだ。
カリフォルニアに十日間いて、孫や娘や友人と会ってビール飲んで帰ってきたら、もうお葬式は済んでいたし、新聞には訃報が載っていた。そしてあたしはいろんな人に、ねこちゃんのことを言われ、惜しいと言われ、悲しいと言われ、事情を知らない人には事情を訊かれたりもした。で、自分は根性がひんまがってるなと思ったのは、あたしが、そういう声を、聞きたくない、話したくもないと感じたことだ。