不思議な感情だった。ほとんど耳をふさいで生きていた。
聞いてよかった、言ってくれてありがとうと思ったのも二、三あったから、何がよくて何がいやなのか自分でもわからなかった。あたしが耳をふさいだ声だって、みんな善意だ。それは間違いない。
その頃あたしには締切が二つ三つあった。どれも依頼は「エッセイ」だった。
エッセイってね、自分の日常を見つめて、むーんとうずくまっていると(比喩ですよ)波のホみたいなものが見えてくるから、それをすくい取って、またまたむーんと煮つめていくと、おもしろい言葉やリズムが浮いてくるから、それを手がかりに進んでいくと勢いがついて転がっていって見えなかったものが見えてくる。それを語りの中にあてはめていく……こんなやり方で書いてるわけだ。
つまり、日常から抽出していくのがエッセイなのに、その頃のあたしの日常はほぼ「ねこちゃん死んだねこちゃん死んだ」で満たされていた。そんなものを書いたら、知らない人が、伊藤さんの日々の思いだと思って読むわけだ。読まれたくなかった。なんにも書きたくなかった。