愛知への愛と東京への拭いきれない嫉妬

どうやら私は、いつの間にかしっかり愛知を愛してしまっているようなのだ。

上京したからこそ、余計にその良さが分かった。東京で暮らしていなかったら、愛知の空の広さにも、夕陽の美しさにも、時間がゆっくり流れることのありがたさにも、気づけなかったかもしれない。今では、自分がいかに恵まれているかを実感している。

われらがソウルフード、味噌煮込みうどん。夏でも食べます

それでも、いまだに東京というブランドへの憧れと、拭いきれない嫉妬が残っていることも事実なのだ。

東京は華やかで洗練されていてキラキラしているように見える。だが、東京にいる一人一人と対峙してみると、誰もキラキラなんてしていない。多少は「東京の人」というカッコ良さフィルターがかかっているのかもしれないが、そこにいるのはごく普通の人ばかりだ。

東京に住んでいる人から届いた「東京は遊びに行くところ。住むところじゃない」「成功者は一握り。高い家賃と物価のために余裕のない生活を送っている人が多い」「孤独で疲れた。仕事から離れたら空気の綺麗な田舎で暮らしたい」という声にも共感する。たった1年だったが、それでも十分に理解できる。

それなのになぜこんなに東京が羨ましいのだろう? なぜ魅力的に見えるのだろう? 私はそれらのコメントに深く頷いてもなお「それでも東京にいるあなたはかっこよくて羨ましいよ」と思ってしまう。

便利だとか文化的だとかいろいろと書いたけれど、本音はやっぱり「日本一の都会で、かっこいいから」なんじゃないだろうか。東京という場所にはそれだけで地方にいては決して得られない種類の承認が得られる気がするのだ。

「わかる。やっぱり東京には憧れる」「同じように若い頃に上京して、孤独に疲れて地元に帰ってきた」「1年で気づけてまだよかった。いい経験になったんじゃない」「東京へのあこがれを持ちつつ、地元で子育てや仕事に向き合いながら暮らす人は多いと思う」など、地方に住む人たちの共感の声もたくさん聞けてホッとした。

「千寿」さんの天むすは奥ゆかしく中に隠れてます

特に
「自分が”何者か”という事が分かる人は少なくて、自分は”何者でもない、自分だ”と気づけばいいと思う。そうなれば何処にいても穏やかにいられると思う。そう思うにはある程度の年月は必要だと思うよ、若いうちにはあまり気づかない。歳を重ねて見えてくるもんもあるんだから歳食っていくのも悪くないなって思う」
というコメントにはとても救われた。