たび重なる骨折。けれど毅然としたままで
私は月1回のペースで東京の夫の実家に通い、しばらく滞在するようにしました。そこから、義母との関係が劇的に変化したように思います。
それまでは厳然と聳(そび)え立つような人でしたが、さすがの義母も誰かの手を借りなければ生きていけなくなったわけですから。かといって、私に対して卑屈になったりはしません。なにか不具合があれば、ベッドに横になったまま私を手で招き寄せ、「なんとかしてちょうだい」と言うわけです。
「誰とも会わない」と決めたのは本人でした。お見舞いや取材を希望する方をお断りするのは、私の役目。ごくたまに「会うわ」と言うこともありましたが、直前に「やっぱり会わない」となりました。
「お義母さま、どうしてお会いにならないの? お断りする私の身にもなってくださいよぅ」と言うと、「あなたね、なに言ってるの。治って元気になってからお会いしたいの」。さすがと思いました。そう言われると、返す言葉がありません。
訪問入浴も最初は喜んでいたのですが、そのうち嫌がるようになりました。「お風呂が好きだって言ったからお願いしたのに」と、うらみがましく言うと、義母は「確かに言いました。でも、入りたいのは今じゃない」。きっと強制されるのは不快だったのでしょう。
髪が伸びたので、「美容師を呼びましょう」と提案したこともあります。ところが「いいえ。わたくし、ずっと髪を伸ばしたかったの」と言われてびっくり。
もしかして世間でのイメージの、ショートヘアの「曽野綾子」から、本名の「三浦知壽子」に戻りたいんだろうかなどと感じていたのですが、私は何もわかっていない――そんなふうに思ったものです。