「愛猫の直助に似ている」と曽野さんが入院中も大切にしていた置物

弱音を吐かない人ですが、一度だけ「どうして脚ばっかり折っちゃうのかしら」と嘆いたことがありました。確かにそれまでにも、スネと足首を骨折しています。

うまく慰める言葉が見つからなくて、思わず口から出たのが、「お義母さま、脚だけじゃありません。鎖骨も折りました」(笑)。ほかに言いようがあったと思うのですが、義母は少し微笑んで「そうだったわね。鎖骨も折ったわ」。

原稿を書くのは休んでいましたが、新聞を読んだり、読書を楽しんだりはしていました。テレビを見て論評するのは相変わらずで、日々の癒やしは、義父の死後に飼い始めた2匹の猫。義母が寝ているベッドに猫が飛び乗ると、「重い!」「邪魔よ」などと言いながらも、本当にうれしそうでした。

その猫が相次いで亡くなってしまい、義母はすっかりしょげ返りました。そして「3匹目の猫を飼いたい」と、何度も訴えるのです。でも私は、「この状況ではそれは無理よ」と言ってしまいました。なぜ、義母のささやかな願いを叶えてあげなかったのか。今になって悔やまれます。

夫の太郎は、60歳の時に腕に悪性腫瘍ができて5回手術を受けており、神戸を離れられません。ある時、「どうして君は東京にばっかり行くんだ」と文句を言うので、「東京で世話が必要なのは、誰の親やねん」とわざと関西弁で返したら、「おまえの親だ」。そうなのかと、妙に納得しました。

もちろん夫は誰より自分の親のことを考えています。でも、実際に動けるのは私しかいません。結婚して45年、曽野綾子は私にとって《母以上の存在》になっていました。

後編につづく

【関連記事】
三浦暁子「義母は最期まで《作家・曽野綾子》だった。骨折をしても不死鳥のように甦ってきた義母だから、また元気になってくれると信じていたけれど」
曽野綾子 人生の終わりにさしかかる頃、預金通帳を眺めるよりも人との出会いを思い返す。どうしたら感動的な出会いができるかというと…
曽野綾子「私の手抜き料理」旅館の大女将さんが、素人としての自由な料理の姿勢を教えてくれた