帰国して、だいぶ年月が経ったのち、そのことを思い出した。日本でもスニーカーが流行り始めた頃だった。よし、私もやってみようじゃないか。仕事先で先方の方とスニーカーで対面するわけにはいかない。あるいは食事会に参加するのは失礼か。

そういうときは、大きめの鞄によそゆき用のお洒落なヒール靴をそのままぶち込み、目的地に着く直前……たとえばレストランの入り口の前とか訪問先のビルの裏などで、こっそり履き替える。ところがそういうときに限って、

「どうしたの? そんなとこで屈んで。気分でも悪いの?」

これからお会いする予定の人に見つかったりするのである。

それでも夏場はまだましだ。履き替えた後、脱いだほうのぺちゃんこ靴はかさばらない。鞄にすっぽりと収まる。が、問題は冬場である。私が冬場に愛用しているのは底がぺちゃんこになった黒いショートブーツである。これを、いくら大きめとはいえ鞄に突っ込んでみれば、外にはみ出る、ないしは鞄が異様に膨らむ。その見た目も哀れな鞄を持って高級レストランに入るなり、

「お荷物、お預かりいたしましょうか」

スマートなレストランスタッフから手が伸びてきたときの、なんと気まずいことか。いえ、けっこうですと応え、その鞄を席に持ち込むのも気が引ける。さりとてクロークに預ければ、

「げげ、あのおばさん、バッグに汚ったねーブーツそのまま突っ込んでるよ」

「え、どれどれ?」

そんな囁き声が飛び交うにちがいない。なかなかニューヨークのビジネスウーマンのようにカッコ良くはいかない。

しかし、この「汚ったねーブーツ」は実に履き心地がよろしい。冬場はほとんど毎日のように履いている。このショートブーツを履くようになってすでに十年近くの歳月が過ぎただろうか。