今年の初め頃、いつものように仕事に向かうため玄関にて、「じゃ、行ってきまーす」と家の中に声をかけると、玄関先まで見送りにきた亭主殿が低く呟いた。

「そのブーツ、そろそろ処分したら?」

視線を足元へ落とす。たしかにだいぶ剥げてきた。普段、履いているときはさほど気にならない。が、改めて指摘されると、つま先あたりはもはや革がすり切れ、どう見ても黒色とは言いがたい。

「うー、でも履きやすいのよ」

「じゃ、今シーズンいっぱいで捨てなさい」

「うー、わかりましたあ」

あれから数ヶ月が経った。約束の今シーズンが終わりかけている。玄関にあぐらをかき、私は靴磨きセットの入った箱を取り出す。靴も鞄も革製品は、新品より使いこなした痕跡が魅力なのではないのか。カウボーイだって汚れたブーツを履いているではないか。一人ブツブツ言いながら、よれよれブーツを磨くうち、ふと蘇る。

そういえばこの靴磨きセットはずっと昔、テレビの仕事仲間である先輩女性から誕生日にプレゼントされたのであった。

「サワコさん、靴は磨きなさいね。テレビに出る人なんだから、そんな剥げた靴履いてばかりいてはダメなの」

お叱りの言葉とともにプレゼントされたことを思い出した。当時から私は剥げた靴を履いていたらしい。

私は磨くのを諦めて、愛着あるブーツを玄関の片隅に置く……、とりあえず。

さて、春夏の靴を取り出そう。赤いサンダルは表参道で買ったんだっけ。ぽっくり下駄のようなサンダルもだいぶ年季が入ってきた。ためつすがめつ、たまにはヒールのある靴を履いてみるかと、長らくご無沙汰しているサンダルやミュールに足を入れて愕然とした。さほど頻繁に履いた覚えがないのに、中敷きが粉ふきいものようにボロボロになり、ヒールのゴムカバーが取れて中の金具が飛び出している。

結論。靴は履き続けても履かずとも、年月とともに劣化する。

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