気になって手に付かず
一方、円地文子は、娘の出産に付き添った経験を綴りました。
〈娘の夫と私は口もきかないで、蒸し暑い夜の病室に不安な時を過した。生れて来る子供について、色々持っていた欲望が他愛なく一つ一つ消えて行って、最後には五体満足な赤ん坊が生れてくれさえすればいいとそのことだけを祈っていた〉(「孫」60年9月号)
誕生から2週間経っても、まだまだ慣れぬ孫との触れ合い。気になって何も手に付かず、結局この原稿もホテルで書いたという顛末を明かしています。
孫たちにおいすがろうと
孫賛歌の詩集『若葉のうた』を発表した詩人・金子光晴。『婦人公論』に寄せた「孫というもの」で、2歳半になったいたずら盛りの初孫・愛称『小(お)かん』を分析しています。
〈こんな小さな子供のなかに、人間の女がしてきたすべての宿業の絵巻を、手から辷(すべ)りおとした一瞬にのぞいたような衝撃を感じることもたびたびあった〉(66年11月号)
また、祖父母としての複雑な心境も以下に表れていて……。
〈『小かん』のことに直接タッチして、力になってやることのできるのは父と母で、先の短い老人夫婦は、『小かん』の生涯のはじまりのおぼろげな記憶のどこかにもぐり込むことすらおぼつかない。(略)老人は、わずかな時間でもむさぼって、孫たちにおいすがろうという絶望的な闘争に、最後の生甲斐を賭けることになる〉
孫とどう接すればいいのか、戸惑う祖父母の姿は今も昔も変わらないようです。