ほとんどが軍国少女

暢さんについては資料がなく、残っているエピソードが5つくらいしかわからなかったので、想像を膨らませてオリジナルで描きました。

『あんぱん』を書くための準備として、大正生まれの女性の手記や著名な方の資料などを読み込んだら、きちんとした教育を受けたほとんどの女性が軍国少女でした。反戦の人もわずかにいたかもしれませんが、当時はそれを口に出すことも、書き残すこともできませんでした。

(『あんぱん』/(c)NHK)

私の母は昭和8年生まれで、母も軍国少女でした。脚本家の橋田寿賀子先生やデザイナーの桂由美さん、作家の田辺聖子さんの日記を読んでも、みんな軍国主義一色に染まっていました。純粋な人ほど染まりやすいと思うんですよね。そんな人たちが、終戦を迎えて、これまでの自分の思想や活動を全部墨で塗りつぶすような体験をするんです。そういう人生って、どういうものなんだろうと思いをはせましたが、調べれば調べるほどその事実を正直に描かなければならないと思いました。

たとえば、蘭子の婚約者の豪が死んだときに、のぶは「立派やと言うちゃりなさい」と言います。今の感覚だとありえないですよね。書いている私もすごく苦しかったですから、のぶを演じる今田美桜さんが「大丈夫かな…」と心配になりました。妹の好きな人であり、自分も子どものころから知っていたお兄ちゃんのような人が亡くなった時に、こんなことを言うって、あそこだけ見ると、のぶはヒールですから。でも、あの時代はそういう人が大変でしたし、脚本がぶれてはいけないと思い、貫きました。今田さんは健気によ演じてくれて、本当に頑張ってくれたと思います。