昔、俳優の原田芳雄さんにお会いしたときのこと。思えばそのとき原田さんはまだ六十代の初めぐらいであったはずだけれど、ニコニコ笑いながら話してくださったことには、
「歳取るって面白いよお。ほんの数センチの段差につっかかるんだ。若い頃はそんなこと考えもしなかったけどねえ」
自分が老いていく景色を観察するのがこよなく愉快であるといった様子で語ってくださった。なんと前向きな人だろうと感動したのを覚えている。が、そのインタビューをしたときの私は五十歳ぐらいであった。ほんの数センチの段差につまずくなどということは、まことにもって他人事だった。
老化を忌み嫌うつもりはないけれど、原田さんほど愉快に受け止める余裕はない。加えて言えば、老化を防ぐための努力をする気力もない。万事、なるようにしかならない。世間の同情を買うようなしょぼくれたばあさんにはなりたくないが、ほぼ老いるに任せて生きていくつもりだ。とはいえ、階段を転げ落ちたり、横断歩道を渡り切れずに車にかれたり、軽くまたぐつもりのガードレールに足を引っかけて公衆の面前で顔面制動したりして、救急車で運ばれるなんぞという失態は、できれば演じたくない。
そう思っているくせに、ガードレールや低いチェーンというものは、本能的にまたぎたくなるものですね。昔はこんな低いチェーンはポンとジャンプして乗り越えたものだ。あらゆる記憶が薄らいでいくのに、そういう感覚だけは鮮明に蘇る。
下りの階段も、若い頃は馬がギャロップをするがごとく軽快にタッタカタッタと下りたものだ。子どもの頃はもっと果敢であった。最後の三段ぐらいは平気でジャンプして最下地に着地してみせた。今やそんなこと、やりたくても、やめておいたほうがいい。