
MARUU=イラスト
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。友人から「駅で転んで階段から落ちた」という報告を受け、自分も気をつけなければいけないと思っていた矢先、阿川さん自身も地下鉄で転んでしまったそうで――。
※本記事は『婦人公論』2025年8月号に掲載されたものです
※本記事は『婦人公論』2025年8月号に掲載されたものです
転んだ。
あれだけ注意していたつもりだったのに。
転ぶ前日にも、同世代の友だちのグループLINEにて、一人から「駅で転んで階段から落ちた」という報告を受け、残るみんなで、「大丈夫? 怪我は?」とか「この歳で転ぶと寝たきり老人になっちゃうから気をつけなきゃ」とか「やっぱり骨を鍛えておきましょう」とか、それぞれにいたわりと注意喚起の文面を交わしつつ、自分も気をつけなければいけないと思っていた矢先のことだった。
地下鉄を降り、上りのエスカレーターに乗り、よせばいいのにさらに先へ進もうと足を上げたそのとき、右足のつま先が段に突っかかり、前にのめった。その拍子にギザギザしたステップの角に思い切り膝をぶつけ、イタタタタ。
たったそれだけの転び具合ではあったけれど、ものすごくイタタタタ。幸か不幸か私の前後に人はいなかった。隣の下りエスカレーターに立つ人の斜め上からの視線をかすかに感じたが、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる人も、下に降りたあと、戻って私に駆け寄ってくれる人もいなかった。冷たいと言いたいのではない。傍から見れば、たいしたつんのめりには見えなかったと思われる。それでも激しくイタタタタ。エレベーターを上り切ったところで通路の端へ寄り、こっそりズボンの裾を膝まで上げてみる。血だらけかと思ったら、血はぜんぜん出ていなかった。そのかわり、膝頭に段のギザギザの突き刺さったあとが数ヵ所できていた。多少赤くなっているが骨に影響はなさそうだ。それでも痛みはある。足を引きずりつつ、なんとか歩いて家に辿り着いた。
医者へ行くことも絆創膏を貼ることもなく、一週間ほどで痛みは消えたけれど、以来、本気で注意するようになった。