老人は、病人の世話が一番役に立ったと語る

その地下通路は長くて、地下鉄の駅とJRの駅を結び、大手企業が入居しているビルや百貨店の地下の階にも繋がっていて、人通りが多かった。

老人は、カレンダーやポスターなどを切ってノリで繋げて長い紙を作り、その裏の白紙の部分に、人生の教訓のような長い詩を、毎日、書いていた。

背広を着た男性たちが、立ち止まったり、しゃがんだりして、その詩を読み、その老人と言葉を交わしていた。その老人から少し離れたところに路上生活の人が数人座っていた。巻物に書いた詩を欲しい人がいて、老人はお金ではなく、自動販売機の飲み物と交換している時もあった。

ある日、私はその老人に声をかけてみた。「おじさんは詩人なのですか?」

すると、老人は、「そう見えるなら光栄だね。俺はわずかな年金をもらって、古い家に住み、一人で家にいてもつまらないから、ここに座っている。行き来する人を見ていると、その人の人生や魂の力までが見えて、言葉が浮かんでくる。自分の体験も混ぜて、それを文字にしているだけ」と言うのである。

私はさらに聞いた。「おじさんは何をしてきた人なのですか?」

「会社員だったこともあるし、アルバイトをしていたこともある。様々な仕事をしたな。でも、一番自分の役に立ち、学べた仕事は、若い頃にした病人の世話だ。頼まれて何人も世話をしたよ」と、老人は答えた。

私が幼い頃、親戚の人が病院に長期に入院したことがある。その時、母に連れられてお見舞いに行くと、それぞれの患者たちが、身の回りの世話をしてくれる人を雇っていた。現在の入院の体制と違い、自分が雇った人が洗濯や食事の世話をしていたのである。

イメージ(写真提供:Photo AC)

私は老人に、「他人の病気の世話をして何を学べたのですか?」と尋ねた。

老人は、「病人の世話は、一緒に医者の話が聞けるし、病人の状態や心の動きが理解できるようになる。家族や自分が病気になった時に役に立つのだよ」と言った。

当時、私は追い詰められていた。私の父は体調がおかしくなっていたが、あちこちの医院で病名が不明と診断され、入院したら症状が悪化した。主治医の診断と処方した薬に疑問をもった助手の医師が、主治医がいない時に、父を抱えて別の病院に連れて行き入院させるという脱走のような事態が起きていた。さらに、父が病気になったとたんに借金が明らかになり、父の周りにいた人たちは逃げてしまった。落ちぶれると、人は離れるものだと、私は身に染みて感じていた。そして母も私も、この状態では、同居している兄の統合失調症が悪化するのではないかと心配していた。