そうこうするうち、私自身も婦人科系の病を患い、自律神経のバランスを崩しました。死を扱う執筆活動にも消耗し、人生を見つめ直したくなって。宗教的なことへの興味から、タイやインドの寺院を訪れてみましたが、その時の私に仏教は助けにはなりませんでした。「人生とはこうだ」という答えを出せずにいたところ、森山さんから「がんを患った」と告げられたのです。

連絡を受け、私はふたたび森山さんのいる京都に通うように。彼は「自分はまだ生きるつもりだ」と言いながら、死への不安との間ですごく揺れていました。迷って何かにすがりつく。万華鏡のように、その日その日で心持ちが変わっていく。そのさまを見て、私は「あ、揺れるのが当たり前なんだ」と気づきました。揺れることこそ、人生そのものだったのです。

祖父母と同居する大家族が一般的だった昔と違い、核家族化が進んだ今、普通に生活をしていて「命の閉じ方」を学ぶ機会は少ないですよね。病気になったら医師の治療を受け、病院のベッドの上で死んでいく。そんな流れに乗ることが正しいと、私も信じてきました。でも、唯一絶対の正解はなかった。だから、終末期を迎えた患者それぞれの、「限られた時間をどう生きよう」という思いを、ありのままに書くことにしました。

森山さんは「僕には人に腹を立てたり悲しんだりする時間はない」と話していました。私も許せない人がいましたが、今はもうどうでもいい(笑)。抱えていたつらいこと、嫌な感情は、森山さんが亡くなる時に全部持っていってくれたのかな。読後感が明るいと言われるのは、そのためかもしれません。

家族を介護している人は多いけれど、ふつうは皆、自分の家のことしか見えません。隣の家庭がどうしているか、医療にどんな選択肢があるのか知らない人も多いはず。この本を通して「こんな生き方、死に方もあるんだ」と知ってほしい。そして、自分ならどうするか、考えるきっかけになったら嬉しいです。