「この本を通して「こんな生き方、死に方もあるんだ」と知ってほしい。そして、自分ならどうするか、考えるきっかけになったら嬉しいです」(撮影:本社写真部)  
著書『エンド・オブ・ライフ』で、終末期の「在宅医療」というテーマに挑んだ佐々涼子さん。途中で家族の在宅介護の現実に直面し、もうかけないと思ったこともあると語ります。(構成=野本由起 撮影=本社写真部)

「命の閉じ方」に正解はない。自分なりの生き方を考えて

ノンフィクション作家として、国境を越えて遺体を運ぶ仕事や、東日本大震災の現場など、図らずも「死」に関することを書いてきました。そんな私が今回扱ったテーマは終末期の「在宅医療」。京都で在宅医療に取り組む診療所のスタッフに同行し、自宅で最期を迎える方々を取材しています。

主軸となるのは、訪問看護師の森山文則さん。200人以上の患者を看取ってきた彼は、2018年に自身がステージIVのがんを宣告されます。森山さんが自らの死を受け容れる過程を追いつつ、彼が出会ってきた多くの患者についても書きました。

体調が悪いなか決死の覚悟で家族と潮干狩りに出かける末期がんの女性、桜の見える自宅でホームコンサートを開き家族と幸せに過ごす男性、激痛に苦しみ自殺を図る男性……。森山さんに影響を与えたさまざまな患者たちの話を交え、過去と現在を行き来する構成にしています。

取材は13年から始めましたが、途中もう書けないとも思いました。じつは私の母も長らく寝たきりで、亡くなるまで父が在宅で介護をしていたのです。でも父の超人的な努力を見ていると、逆に誰にでもできることではないと思えて。確かに自宅で幸せな最期を迎える方もいますが、「在宅医療って素晴らしい」と手放しでは推奨できず、どう書いていいかわかりませんでした。

そうこうするうち、私自身も婦人科系の病を患い、自律神経のバランスを崩しました。死を扱う執筆活動にも消耗し、人生を見つめ直したくなって。宗教的なことへの興味から、タイやインドの寺院を訪れてみましたが、その時の私に仏教は助けにはなりませんでした。「人生とはこうだ」という答えを出せずにいたところ、森山さんから「がんを患った」と告げられたのです。

連絡を受け、私はふたたび森山さんのいる京都に通うように。彼は「自分はまだ生きるつもりだ」と言いながら、死への不安との間ですごく揺れていました。迷って何かにすがりつく。万華鏡のように、その日その日で心持ちが変わっていく。そのさまを見て、私は「あ、揺れるのが当たり前なんだ」と気づきました。揺れることこそ、人生そのものだったのです。

祖父母と同居する大家族が一般的だった昔と違い、核家族化が進んだ今、普通に生活をしていて「命の閉じ方」を学ぶ機会は少ないですよね。病気になったら医師の治療を受け、病院のベッドの上で死んでいく。そんな流れに乗ることが正しいと、私も信じてきました。でも、唯一絶対の正解はなかった。だから、終末期を迎えた患者それぞれの、「限られた時間をどう生きよう」という思いを、ありのままに書くことにしました。

森山さんは「僕には人に腹を立てたり悲しんだりする時間はない」と話していました。私も許せない人がいましたが、今はもうどうでもいい(笑)。抱えていたつらいこと、嫌な感情は、森山さんが亡くなる時に全部持っていってくれたのかな。読後感が明るいと言われるのは、そのためかもしれません。

家族を介護している人は多いけれど、ふつうは皆、自分の家のことしか見えません。隣の家庭がどうしているか、医療にどんな選択肢があるのか知らない人も多いはず。この本を通して「こんな生き方、死に方もあるんだ」と知ってほしい。そして、自分ならどうするか、考えるきっかけになったら嬉しいです。