「いろいろな世代が登場する話を書いているのだし、一度だけ読んで「はい終わり」ではなく、何度でも出会ってほしい、というのが作家の思いです」(重松さん)

 

芦田 子どもだからこそ楽しめる本の世界があると思うんです。だけど最近、本を読んでいて、「これは現実的にありえない」などと考えるようになった自分がいるんですね。また、暗いままで終わったり、ハッピーエンドにならない話もいいなあと思い始めて。それは、自分が人間のドロドロした部分もわかるようになってきたこともあるのかなと……。

重松 ドロドロ部分も人間性が凝縮されたもの。そこを見ていくのも大人へのステップ、青春時代に必要なことです。作家の立場から言うと、中学生の主人公を描いた小説は、もちろん中学生の読者に読んでほしいけど、もう少し年齢を重ねると、主人公のお父さんや先生の気持ちもわかるようになるよ、と。いろいろな世代が登場する話を書いているのだし、一度だけ読んで「はい終わり」ではなく、何度でも出会ってほしい、というのが作家の思いです。

 

時を経て“読み直す”喜び

伊藤 私は、少年少女が登場する重松さんの小説はすっかり親の視線で読んでいますね。「親はこう思ってるんだよ、主人公のキミ、わかってるの?」と。

重松 だから小説はいろいろな人が登場したほうがいいんですね。年齢もそうだし、価値観にしても。ひとつの色だけではなく、たくさんの色があったほうが面白い。

芦田 登場人物には、私、あまりいい子でいてほしくなくて。あるいは、主人公よりも脇役のほうがちょっと好きだったりします。「ああ、こんなとき、こんなふうに意地悪なこと言っちゃうよね」とか、その気持ちもわからなくはないし、人間味が見える子のほうが感情移入しやすくて。

重松 嫉妬とか自己保身とか、そういうネガティブな感情をしっかり表現できている小説はやっぱり面白いですよ。そうしたことを充分に味わうためにも、同じ本を再読してほしいんです。先ほど愛菜さんが言ったように、時間が経つと、あの頃の自分と今の自分との距離感もわかるし。

伊藤 そのためにも、本は処分しないほうがいいですね。学生に言うんですよ、「君たちの部屋にある本棚は、君たちの脳の外付けハードディスクなんだよ。だから空っぽにしちゃいけない」と。カバーもそのままに本棚に並べておくと、背表紙だけで、「ああ、この本は」と思い出して、また読みたくなるかもしれない。