世界中の中で自分が一人ぼっちに感じた
沼尾:私にしてみたら、自分に何が起こったのか全くわからない。テレビを観てもどうして笑っているかわからない。お見舞いに来てくれた友人が何を言っているのかわからない。どうして入院しているのかさえもわからない。
「番組はどうなっているの?」「現場が待っているから早く退院しなきゃ!」。言いたいこと、聞きたいことはちゃんと頭の中にあるのに、どう言ったらいいかわからない。私は世界中でひとりぼっちでした。
辰巳:失語症と認知症の大きな違いの一つは、「知的な機能が保たれているかどうか」です。失語症の方は、自分の考えや伝えたい内容(中身)はしっかりとお持ちなのですが、それを言葉という「道具」で表現する力が障害されます。そのため、伝えたい内容を言葉にすることができなかったり、時には全く違う言葉を言ってしまうこともあります(これを「錯語」といいます)。一方、認知症では記憶力や思考力そのものが低下します。つまり、失語症は“伝える手段の障害”であり、記憶障害でも知能低下でもないのです。
沼尾:毎日不安でいっぱいだった私は、手当たり次第白い服を着た人を医師だと思い込み呼び止めていたそうです。記憶にないのですが。見かねた家族が「病名がわかったよ」と言ってノートに書いて説明してくれました。とてもうれしかったです。
「脳梗塞 の・う・こ・う・そ・く…?」と教えられた時、脳梗塞って高齢者に多いんじゃない?と不思議な気持ちでした。さらに、「早く退院したいと言わない」、「早く仕事復帰したいと言わない」、「先生の説明はきちんと理解できるようになってからしてもらう」という注意事項をゆっくり説明され理解はしたのですが、<なぜ?>が言葉にできず不安はずっと続きました。
それからしばらくして、病室にリハビリ科の医師がやってきました。私がいつ仕事に復帰できるのか聞きたがっていることがわかると、「う〜ん、なんとも言えませんね」とおっしゃったのです。その時、初めて私は自分の身に起こったことの重大さに気づきました。復帰できる時期どころか、治るかどうかさえわからない。どうしてこんなことになってしまったんだろう。伝えたい言葉が迷子になって、それさえも言えない。私は、声をあげて子どものように泣いていました。母はだまってハンカチで私の涙を拭いてくれました。
さらに、偶然目にしたリハビリテーション計画書に書かれた「失語症」の文字。ついに私は真っ暗闇の底に突き落とされました。言葉を仕事とする私が言葉を失ったの?「長文になると理解が曖昧になる」ってどういうこと!?。
それは絶望でした。母親は「命が助かって良かった」と言ってくれましたが、私は「どうして死ななかったんだろう」と思っていました。苦しくて死んでしまいたいと思いながら、動悸が激しくなると息が止まらないよう大きく深呼吸していました。
辰巳:脳の障害によって片麻痺となられた方の場合は、上手に歩くことができなかったり、杖をついたりすることで、外見から障害の存在は理解されやすいですが、失語症の方は、外見からだけでは、ことばの障害に気づかれにくく、誤解をされることも多くあります。例えば、自分の名前が適切に言えなかったりすると、一般の多くの方は、脳の機能が全般的に低下している状態ではないかと感じてしまう傾向があります。それも当事者の方にとっては、大変に辛いことだと言われています。
沼尾:そうなんです。例えばコンビニで支払いをする時に「〇〇円です」と言われてもすぐにはお金が払えない。言葉で言われた数字と実際のお金がうまく結びつかなくてもたもたしてしまうんですね。そうすると、うしろに並んでいる人に迷惑をかけてしまい、いたたまれなくなったりします。
退院してから実家に身を寄せていました。はじめのうちは、新聞を手に取ったり、身の回りの簡単な文を読んでみたりしていましたが、以前のようにうまくできないこと、わかっているものの名前が出てこないことが辛くて、そのうち文字を見るのも、人と関わることも嫌になってしまって、一日中庭の金魚を見て過ごしていました。