嫉妬の感情を失う=人生の推進力を失う?
Yahooニュースなどで嫉妬マニアが公開されると、毎回必ずといっていいほど「強欲すぎる。足るを知れ」系のコメントが来る。
中国の思想家である老子の言葉、「足るを知るものは富む」。欲張らず、今あるもので満足できる者は豊かである、という意味だ。
老子の名言は他にもいろいろ知られているが、一貫して、争いをせず、欲を持たず、無理なく自然体でいること、つまり嫉妬を根源から断つような教えを説いている。現代で言われる「みんなちがってみんないい」とか「ありのままで」などにつながるのかもしれない。
Sさんの言う「今日はあったかいなとか、このケーキ美味しいなとかで満足する」というのは、まさに足るを知っている。「もっともっと」と欲しがり続けている私より、明らかに豊かそうだ。
だが、人に勝ちたいと思ったり、欲しいと思ったりすることは、彼女の言うように成長するエネルギーになることも事実なのではないだろうか?
もし嫉妬がないとしたら、その人の「モチベーション」や「向上心」はどこから来るのか? 嫉妬という感情を失うことは、人生の推進力を失うことになるのではないのか?
例えば、我が家の次男が小学校2年生の運動会のとき。徒競争では順位がつけられず、ゴールまで走れば「みんながんばったね」でおしまいだが、それでも1着の子は喜んでいたし、2着だった次男はとても悔しがっていた。
そしてその日を境に、次男は走る練習をはじめ、嫌いなピーマンを「強くなるためだ」と言って食べるようになった。(私がピーマン嫌いなので「ピーマン頻度を増やせ」と要求されて大変困っている)
Sさんの「自分には敵うはずがない」「焦る」「逃げかもしれない」という言葉は、もしかしたら本当は自分も欲しいとどこかで望んではいるけれど、無意識のうちに、傷つくのを恐れて土俵にあがることを回避しているのかもしれない。
Sさんに限らず、嫉妬をすることにエネルギーを使いたくなくて、静かに諦めている人は多そうだ。
また、嫉妬を認めることは自分の格を下げると無意識に判断し、表に出さないようにしている人や、嫉妬という感情を「羨望」「憧れ」「感心」という無害な言葉に変えて、心の奥底に封印している人もいるだろう。
やはり人間である以上、嫉妬という感情を100%根絶するのは無理なんじゃないだろうか?
