若手のお笑いの共演者の皆さんは、志村さんは優しかったとおっしゃいます。私が少し年上だったせいか、私が知る限り、共演者と親しく肩を叩いて談笑するようななれ合いは、一切なかったです。ものを作ることを背負った志村さんは、結婚する気持ちはなかったとインタビューで答えていて……安穏とした暮らしは、芸にとって危険だと考えていたのではないでしょうか。彼の研ぎ澄まされた精神性みたいなものは、孤高の中で編み出されたように思います。

3年前、テレビ局で楽屋が隣同士でしたので、お会いしたいと思いましたが、昔のストイックな彼を知っているため、コントやギャグを考えている時間を邪魔するのは申し訳ないと思い、遠慮していたのです。すると廊下で偶然志村さんとすれ違ったので、「志村さん、また私を斬ってちょうだいよ」と言ったら、「えへへへへ~」と、何とも照れくさそうな笑いを浮かべていました。まさかあれが最後になってしまうとは──。

いかりやさんが亡くなり、リーダーを失ったドリフは、他のメンバーがお笑いから距離をおき、タレントや俳優への道を歩みました。しかし志村さんは、一人になってもドリフのコントを継承し、テレビに出演していた。彼には確固たる信念があって、生み出し続ける壮絶な苦労があってもお笑いをやり続けた。その先にギャグができて、テレビや舞台で世に出て、志村さんは「やり切った」と思うのです。喜劇人としては唯一無二、誰も手の届かないところで自分の笑いを極めたと思います。

今後はいかりやさんのように、俳優を目指して活動しようとしていたと聞きました。映画の主演も受けられ、NHK連続テレビ小説『エール』には山田耕筰さんをほうふつさせる作曲家役で出演するということで、主人公のモデルの古関裕而先生を知る私としては、本当に楽しみにしていたのです。

ドリフの「志村けん」というキャラクターではなく、志村けんという人となりがどう役柄に出てくるかを期待していました。演じるメソッドの中にどう自分を沈ませて、みんなのアンサンブルの中で光っていくか。それを見たかった──。

志村さんの死は切なくて悲しいけれど、追悼番組で高木ブーさんがおっしゃった「志村は死んでないよ、生きてる。ずっと生きてるよ」という優しい言葉に救われました。

 


追悼・志村けんさん「天国でも、みんなを笑わせて」

由紀さおり「正気と狂気を行ったり来たり。喜劇に人生を捧げた孤高の人」
小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」
研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」