自主公演「神谷町小歌舞伎」

<橋之助さんは2000年9月、4歳の時に初代中村国生を名乗り初舞台を踏んだ。以降、学校生活と歌舞伎の両立は大変だったのではないか>

橋之助は、青山学院高等部時代、ゴルフ部の部長や学園祭のまとめ役もやっていました。責任感が強く人望も厚い、人を引っ張ることが得意なのです。歌舞伎も疎かにしませんでしたが、高等部時代はそんなに舞台のお役をいただけないし、変声期は踊り中心でセリフがあまりないから両立ができました。 

ところが、大学に進んで歌舞伎の仕事が増えてくると学校に行けなくなり、留年や休学を繰り返して結局、3年生の時に退学しました。私が大学に行きたかったのを知っていたので「お母さん、ごめんね」と謝ってくれました。学校で学んだことは大きく、親が教えられないことや経験させられないことを身につけ、それはしっかりと歌舞伎にも活かされていると思います。

母を囲んで仲睦まじく

<「兄弟3人仲良くお互いをリスペクトし合うこと」が三田さんの一番の願い。その大きな結実の一つが、3人による自主公演「神谷町小歌舞伎」。「神谷町」は七代目中村芝翫さんの住居があった場所。「神谷町小歌舞伎」は、三田さんの人生の節目にもなった>

小さい頃から「芝居ごっこ」をやっていた3人が、本物の歌舞伎の自主公演をしたいと話し合って実現させたのが「神谷町小歌舞伎」です。

芝居ごっこを楽しむ幼い頃の三兄弟

 

「小」には、将来、成駒屋三兄弟が主役を張る「神谷町大歌舞伎」の看板を歌舞伎座にかけたいという目標が込められています。

折しも2023年5月、新型コロナウイルス感染症が感染法上の5類に移行した翌月、「第一回神谷町小歌舞伎」を開催しました。父芝翫にも私にも相談ゼロ。何も教えてくれないから、リビングの大テーブルの下に愛犬のメンマと隠れ、一緒に寝落ちしたふりをして3人の打合せの様子を盗み聞きしたこともあります。完璧じゃない3人だけれど力を合わせて船を漕ぎ出した自主公演も回を重ね、今年5月に4回目を迎えます。

第一回神谷町小歌舞伎

神谷町小歌舞伎がスタートした57歳の時、もうこれ以上親が出ていくことはないと、子離れのタイミングを実感しました。息子たちも「お母さん、これからはもう心配しないで、自由にいろんなことすればいいよ」と背中を押してくれました。それで、これまでは実家に帰ることに遠慮があったのですが、京都の父のもとに毎月のように帰らせてもらえたおかげで、最後は父を看取ることができました。

もう一つ。私はアイドル時代、雨で撮影休止など自由時間ができると羽田空港に直行していろんなところに行っていました。それを復活させ、時間ができると出かけるようになりました。友達を誘ったり、1人で出かけたりして楽しんでいます。