19歳だった皇太子殿下の案内役をつとめて

キーン 私は19歳のときの天皇に会っているんですよ。

工藤 まあ、そうなんですか。どこでお会いに?

キーン 1953年、殿下は初めての外遊で半年間世界を回りました。その途上、エリザベス女王の戴冠式出席のために来英し、ケンブリッジ大学に寄られたのですね。その日一日、私が殿下の案内役を務めました。

工藤 それもご縁ですね。

キーン ケンブリッジの図書館には、明治初期のものを中心に、日本の書物がたくさんありました。そういったものをお見せすると、若い殿下は興味深そうに眺めていましたよ。印象に残ったのは、その晩の大学での食事です。デザートに大きな日の丸を模したケーキが出されたのです。実はそれには大変深い意味がありました。第二次大戦中、日本軍の捕虜になったケンブリッジ連隊の兵士たちは、ビルマ(ミャンマー)で橋の過酷な建設工事に駆り出され、犠牲者もたくさん出ました。

工藤 ああ、泰緬鉄道。

キーン そんな歴史的経緯から、初めは日本の皇太子をケンブリッジには絶対入れるな、という声が強かったのです。でもいろいろと話し合いを重ね、最後は両国の親善のために迎えようということになった。当日は歓迎一色で、「日の丸ケーキ」は、その象徴でした。

工藤 素晴らしいですね、それは。きっとキーン先生のご努力もあったのでしょう。

キーン いつだったか、明仁天皇から「キーンさんに初めて会ったのは、いつでしたっけ?」と聞かれたので、その話をしました。

工藤 それは、懐かしがっていらしたでしょうね。

キーン 2度目に会ったのは、ご結婚されてからでした。軽井沢の千ヶ滝プリンスホテルの朝食に誘われたのですが、私はそのとき、仕入れたばかりの、「日本のパン」の話をしたのですよ。桃山時代に日本に来た宣教師が、「世界でもっともおいしいパンは、江戸で焼かれたものだ」と記録に残しています、と。伝来してから20年くらいしか経っていないのに、すぐに日本人は「本場」の人間を唸らせるパンを作り上げた、というお話。でも、それを聞いた殿下の言葉に、私はびっくりしました。

工藤 どんなことをおっしゃったのですか?

キーン 「それは、ヨーロッパにはない麦で焼いたから、おいしく感じたのではないですか」と、殿下は言ったのです。予想外のことでしたね。なんでそんな答えができるのか。

工藤 麦にお詳しいのは、皇后様のおかげかもしれませんね(笑)。正田家は日清製粉の創業者で、館林で最高の小麦を作っていますから。

キーン ああ、なるほど。そういうバックボーンがあったのですか。それは、どんな本を読んでも出てきませんでした。(笑)