例えば公共交通機関の遅延で

わたしは、この歴史を知ったときにこの概念が持つ運命に感嘆してしまいました。

ちなみに、ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、非存在の存在です。この状態は、「記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけ」た、とされています。ちょっと哲学的でもありますよね。

さすがに、この状態にまで到達できる人はほとんどいないと思われますが、ビオンが言わんとしていることはわかります。わからない状態の中で留まり続けること、居ることの難しさは、他の書籍でも概念として言及されているように思います。

これだけ自然災害が多い国であるのにもかかわらず、わたしは日本人がネガティブ・ケイパビリティを保持していないのが不思議でなりません。

わたしの世代ですと、阪神淡路大震災、新潟中越地震、東日本大震災、最近ですとコロナ禍の混乱を経験しているはずなんですが、ネガティブ・ケイパビリティは簡単には身につけられないもの、ということなのでしょうか。

一番身近な例だと、公共交通機関の遅延があると思うのですが、いかがでしょう。新幹線の中に閉じ込められた経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。常識を持った大人ならば、窓をこじ開けて線路に出て、一人最寄りの駅まで歩くといったような行動をとることはないでしょう。

けれども、新幹線が動くまでの間、見通しの立たない時間をどうやり過ごすか、出張に慣れている方でもこの扱いには困るはずです。

 

『人生の終わり方を考えよう 現役看護師が伝える老いと死のプロセス』(著:高島亜沙美/KADOKAWA)